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仮面/ペルソナのn0701のネタバレレビュー・内容・結末

仮面/ペルソナ(1967年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

トラウマのような経験、自分自身でも信じられないというような体験を目の前にしたとき、人は隠された本心や芽生えた感情を心の奥底に隠してしまう。

あるいはそれら抑圧された感情を心に抱くことで、本当の自分が別に存在するかのような、あたかも人格が別の人物に代わるような状態になる。

まるで、戯曲を演じる役者が劇内と現実が区別できなくなるかのように。

ある女優は演劇の最中に急に言葉が出なくなった。また、それだけでなく身体を動かすこともままならなくなる。

女優を看ていた看護師は彼女の口から出る官能的で抑圧された本来の女優自身の姿や、その結果生じた妊娠と中絶という精神的な苦痛に彼女の本質を垣間見た。

燃え盛る僧侶、焼け焦げるフィルム、動物の屠殺、手に突き刺さる釘、ブラウン管を通して見ている子ども、世界で起こるあらゆる不吉な出来事や妄想や空想は、まるでフィルムを通して自分自身を通り抜けていくように何かを残して消えていく。

それらの存在は、心に残る不純物や汚れた残骸として自分自身の中に眠るように抑圧されていく。

不安や恐れや苦しみから回避するため、あるいは、揺れた精神の安定を保つための手段として抑圧されていくのだが、ある一種のトリガーによってそれらは暴走する。

暴走はいくつかの方法によって表出し、そのうちの一つに、まるで客観的に自分を見るかのような、言わばカメラ越しに自分の演じる自分を見るかのような状態を作り出す。まさにペルソナ(仮面)だ。

そこには自分という存在はいない。肉体は存在するが精神は別にあるのだ。

さて、女優と看護師はどちらが内面で、どちらが仮面なのか。最後に出てきて、バスに乗るのは看護師であり、女優は消失している。

これは看護師がバスに乗ったと考えるのではなく、女優が看護師の仮面を纏い生きていくことを決意したと考えるのが自然だろう。言わば看護師は女優自身が自身の精神に起こったことを解明するための装置であり、自己言及的に見出した仮面そのものだ。

言わば傍観者且つ内面を見出す装置だった看護師という存在は、あたかも日常のすべての時間をカメラで追われているかの如く演じ続ける女優自身の人格そのものに昇華したのだ。
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