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老人と子供のotomisanのレビュー・感想・評価

老人と子供(1967年製作の映画)
4.2
 「老人と子ども」と名乗っているがフタを開ければ先の大戦下の「フランスとユダヤ」、緊張に満ちたこの設えが子どものいたずらの現行犯逮捕によって、始まり早々収容所送りの危機かと思いきや、あの緊張の空振り具合は何事だろう?
 悪さは子どもの本能のようなもので、さすがにお仕事とは言わないけれど。父親が懸命に自分らはユダヤ人で潜伏中だからと言って聞かしてもダメなものはダメ。ただ、それを本能論にとどめず「遊ぶのは権利だ」とやり返すのがさすがだ。案外「状況」だって分かってそうじゃないか?
 これが当の子ども、偽名クロードの頭脳を介しての「実話」だそうで、はじまりがドイツ占領下のディジョン市ならアルザス・ロレーヌ割譲地に接続するドイツ人入植予定ゾーンの近傍、こんな緊張感ゼロ推奨的活動家の子どもがユダヤ世界に居ったんか?しばいたろかッと疑念が湧いてならん。

 この爆弾息子を置いておいたら親たちはタレコミ屋とゲシュタポの手を借りずとも神経が参って死んでしまうだろう。そこで偽装の利くうちに知り合いの自由フランスにある実家に疎開させようという運びだ。
 ところが、そのウチの爺ちゃんはペタン支持者でユダヤ嫌い、それでもドイツがここより少ないだけましか。
 ついに本題の「老人と子ども」=「フランスとユダヤ」の緊張関係かと思ってこちらも緊張を帯びるのだが、この爺ちゃんも爺ちゃんでユダヤ人がどうのこうのという割にクロードがユダヤ人とは露知らず、ほんとうはどうか知れないがすっかり「爺ちゃんと孫」状態になってこちらの緊張はまたも空振りだ。

 この奇妙な展開を気が付けば笑って眺めてしまっているわけだが、爆撃や発信者不明なラジオ放送、あるいはドイツ進駐軍の脅迫ビラによる凶事の都度、これが戦時下であって笑って眺めてることへの微かな後ろめたさが芽生えてくる。
 その感じはこの映画からずっとのちに作られた数々の「戦時下のユダヤ人」映画、ホロコースト資料を見てきたがためである。
 思い返すと61年にアイヒマンが裁判にかけられ、以降何度か同種の裁判があったものの、一方の当事者たるドイツからの反論と隠蔽、証言拒否、また、冷戦下の分断国家としてのドイツへの政治的配慮と経済的台頭による地位の回復などがある時分でもあり、ホロコーストへの一般の関心、あるいはナチズムそのものへの忌避感情は67年になってもさほど高まってはいなかったのだろう。
 しかも、クロードの両親はドイツ占領下を生き延び、家族三人あっさり笑って爺ちゃんの元から旅立ってゆく。ホロコーストはおろか強制連行も逃れたクロード一家の戦時下を描こうとすると、幾分物心つかぬ気なクロードにとってのあの時代の大人たちによる出来事とは遠くの雷のような事だった、ということか?ただそれだけだろうか?

 そしてもひとつ、ペタン派(爺ちゃん自身)、ド・ゴール派(明るい息子)、共産主義者(娘:クロードを連れてきた)に連合軍(爆撃を寄越す)と対独協力者(外見だけならクロードと同じ丸刈りだ)とで四分五裂となった解放フランスを嘆く爺ちゃんは締めくくりに1967~68年の現実を踏まえるかのように語る。それが、ドイツが退いてアメリカが取って代わり、やがてアジア人、要はエコノミック・アニマルな日本人であり米軍にも屈しないベトナム人であるが、フランスを植民地にするだろうという。このとき戦後を牽引して来たド・ゴールは退場前夜、月に行くのはお愛嬌として、ユダヤ人については、ほかの連中より余程ましで心配ないんだという。
 それはユダヤ人がイスラエルをすでに20年堅持し世界の中で生存力を固めたという事であるが、そうなるに至る経緯としてクロードがいっときも想像せず、彼の父親が恐れ続けた収容所送りの恐ろしさがこの映画の枠外に満ちているはずなのだ。
 ただ、ホロコーストも含め、捕縛と移送の事実の発掘と公表は、文学に類しそうなアンネ・フランクの日記のような著作こそ広まっても、まだ当時は調査も資料の集積も道半ば、更になにが本当で何がウソかの検証も不十分、物語にせよこの映画で世間に問うには、論陣を張るための事実の積み重ねが足りなかったんだろう。

 一見、フランスとユダヤの和解を象徴するかのような爺ちゃんと孫の別れであるが、そのように眺めたものだろうか。
 監督は実はホロコーストも強制移送も表に出さないという二歩も三歩も退いた位置からユダヤ人である自身の事を眺めながら、また、自分のような頓珍漢を抱えた我が一家が縋れた無尽の幸運の大きさを計り兼ねながら、その幸運を支えてくれた人々のあの専制下にも拘らず自分を庇護してくれたことへの感謝をここにともかく添えたかったのだろう。
 つまり、あの爺ちゃんの語ったユダヤ人像のカリカチュア的滑稽さにまるで当てはまらないクロードがその爺ちゃん語りにどれほど安心した事だろう。
 そして、風呂を使う事での悶着で大方気付かれて、あの共産主義者の娘なら仕掛けかねんと合点もされて、しかし、それでも何もおくびにも出さず、クロードをペタン派爺いの孫としてヨミ切り難い世間に向けて遇し続けてくれたのだ。爺ちゃんらもクロードの何を気に入ってくれたのか。
 クロードがそのときそれ、爺ちゃんらの尽力に気づいていたかどうか。それは問われることもないが、爺ちゃんに問う事もなく終わるのだろう。そして問うまでもなく、何派でも何人種でもなく「爺ちゃんの孫」である事を大切にするのだろう。人を信じるとはこういうことなんだろう。

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 ネット上ではあまりまとまった資料に出くわさない感じでなんだか不安になって来る。次の資料が目を惹いたくらいだった。

有田英也(2024)「ナチ強制移送者像に見る歴史、証言、小説の入り組み―オルガ・ヴォルムセル=ミゴ『連合軍が収容所の扉を開いたとき』(1965)を巡って」 ヨーロッパ文化研究, 第43集(成城大学大学院文学研究科)
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