YasujiOshiba

サタデー・ナイト・フィーバーのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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ネトフリ。なぎちゃんリクエスト。めちゃくちゃ久しぶり。劇場で見たと思うのだけど、話をすっかり忘れていた。

だいたいトラヴォルタの相手役って全然覚えてなかった。カレン・リン・ゴーニイという女優さんだけど、1945年生まれで、トラヴォルタが1956年だから10歳以上の歳の差だったのね。

まあ、そんなの今では普通だったのだけど、あのころはどうだったんだろう。それだけでスキャンダラスだったはずだよね。そういう意味で、女性が殻を破りたくても破れない苦々しさが出てるよね。今になってようやくわかった気がする。

たぶん見た当時は、トラヴォルタの一家がイタリア系だというのもわからなかった。でも、あのおばあちゃん、「バスタ!(いいかげんにして)」って叫んでたよね。そして、父親は失業し、ようやくカトリックの神父になろうかと思った兄は帰ってきちゃう。イタリア系はなかなかあの街を抜け出せないんだよね。ボクサーになるか、歌手になるか、あるいはマフィアをやるかぎらいが、街を抜け出す道。だから聖職者になれるのなら、そりゃ家族はうれしいのだろうな。

トラヴォルタは映画公開時で21歳。役のうえではまだ19歳とか言ってたよね。そりゃやりたい盛りだろうし、あのオンボロぐるまをダチと共有して、そこで欲望も共有しちゃうという、なんともやるせない夜の閉塞。そいつを打ち破ることができるのは、きらめくディスコのステージで自己顕示欲たっぷりに踊ってみせるとき。

それだけが自由を感じられる瞬間だったはずだけど、あの若者たちちはまだ、「自由」という概念はとりちがえたままで、そこに器を与えることができていない。彼女だってそうだ。ようやくマンハッタンを出たとしても、嘘で固めた自我のなかで、移ろいながら踊りに逃げているとしか見えないよな。

そのあたりを、もう少し大人に描くのはウッディ・アレンだけど、この映画だってなかなかどうして、あのダンスシーンだけでも、十分に捉えきれないものの輝きを垣間見せてくれたんじゃないだろうか。

それにしてもダンスシーンだよな。なんだか懐かしくて、そういえば東京に出てきたとき、こういうところに友だち誘いあって踊りに行ったっけ。もちろん、女の子に声をかけるなんてできなかったし、踊ることさえままならず、ただ右往左往していたのを覚えている。

そうそう、ディスコだよね、ディスコ。踊りもみんな一列にならんで、体操の時間みたいにキメだけは合わせて、あとはクネクネしてるのよね。あんにクネクネとはできないけど、ステップふむぐらいやってみてもよいかな。このところ、いかんせん膝がね...

膝で思い出した(ここから先はちとネタバレ...)。
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あの橋なんだけど。ヴェラザノ=ナローズ・ブリッジをブルックリンから見上げるシーンがよいよね。そして、その橋で、やはり、でも、うわっとやってしまったボビー。演じたのはバリー・ミラーくんだけど、どことなくボブ・ディラン風の髪型で、女の子を妊娠させて本気で悩んでいるところが、実にブルックリンというか、じつに青春。彼が存在した記憶こそが、あのビージーズの名調子の歌詞を思い出させる。

♪ブラザーであろうがマザーであろうが
♪あんたは生きてる、生きてるんだぜ
♪街はブレークして、みんなはシェイクしてるよな
♪おれたち生きてる、生きてるんだぜ

Whether you're a brother or whether you're a mother
You're stayin' alive, stayin' alive
Feel the city breakin' and everybody shakin'
And we're stayin' alive, stayin' alive
YasujiOshiba

YasujiOshiba