ニューランド

100万人の娘たちのニューランドのレビュー・感想・評価

100万人の娘たち(1963年製作の映画)
3.5
☑️『100万人の娘たち』及び『恐山の女』『沈丁花』▶️▶️
特に傑出した作品ではないにしても、五所らしい気遣い⋅繊細さ⋅妖美さ、がうまくバランスを取って、あからさまな対立的よりも透かしかわして、微妙で透明な感慨⋅境地に届き合ってる。重くなってない。今回初披露のニュープリントは、他に観てないが、(当時のメイン劇場公開プリントに比べ、おそらく)そんなに良くない(他の最上のニュー~に比べ見ても)、バラつきや荒びが目につくが、ただ酷い方ではなく、まろやかさは保ってる。
無理のある急な⋅観てて納得の間もない展開⋅進行、個人の内の止められない魔的な思い込み⋅過大予感(芥川の音楽が武満的に何回か変貌)、そういった心理の鬼(不協和な徴しも無意識に現わる)と⋅労働や日常の嫌味⋅退廃感の同居、観光映画の枠の地域(中央含む)の自然⋅社会⋅リズムの拡がり⋅活力を感じての閉塞を破る端緒の別枠からの生まれ、画面の奥や端への配置や⋅全体をふくよかに包む照明⋅装置の腕、ズーム前後やフォロー⋅寄るを含み越える狭いポイントからズレ流れゆくカメラワークの不思議さ、存分の仕事と言えずもこれらを使いこなし、別の映画の生命を生んでってる、だけでも他の名人と云われる人でも届かない境地。要請される健全さを、尻まくるあからさまでなく裏切ってる。
宮崎(テレビ小説は元よりそれがウリとはいえ、今は更によりネイティブに近い岡山弁等が普通に使われてるが、興行に直に響く映画では、方言は脇役等に限定されてた頃で、視覚以外は宮崎色は薄い。勿論、作家性の強い、興行の中心がズレてる作は当時でも別枠であったが)の寮住まいの某社のバスガイドたち。その全国コンクールの臨時指導員となった、有名人ホテルフロントの 管理職の男を巡り、恋や結婚、内の真意と不協和⋅詭うさ、が表立つか⋅沈み込むかして、友情や姉妹愛に、微妙なひび、冷酷な距離をつくり、生活や健康を脅かす芽が大きくなってく。
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わりと丹念に観に来てる2人に、「五所いいよねえ。俺も(11月下旬の気になる2本~年給~だけの予定の前に)何気に見始めたら、またはまったよ」と云うと、「8~9割位駄作だよ(。この作家は、中心ポイントが分からない。致命的欠陥)」「別にファンじゃないよ(。未見を潰す事、日本公開作は全て観るつもり)。たいした事はない」と各々に、(何でも好みを越えて観る意志をと)云われた。熱あげて通ってる人に傾向を伝えると「信じられないなぁ」。つまらないと分かってる事の確認(し、それが批評家⋅ファンが築いてきた映画史全体像への接近へ)、それが勉強というものなのか。ワクワクさせる⋅させた映画しか観に行かないのは、自分の甘さか。そうでない2本を観るを試す。結果は、朝のTV小説風に云うと「そねぇなことぉして、なにぅしょぅんじゃ」になった。
その2本目が、五所の『恐山~』。前に観たのは未だ20Cで酷い印象だけだったが、変わらない。偶然と気の緩みが、魔の取り憑いた惨劇の連鎖を引き起こし、本人と家族は悪くないと必死⋅周囲の畏れ、行者の無謀解決に委ね、生命破壊をもたらす、という1人残った老母の戦前、廓に出して命を失わせた娘を、イタコの力借りて追慕する話だが、展開のオカルトっぽい、強いメリハリや輪郭の付け方が、まるで五所に合ってない。照明の微細も妖美優る力、キャラの白黒ハッキリ、タッチ⋅美術の俯瞰めや縦移動等のニュアンスを越えた定番、全てにしっかりしているが、更にそこから捻れた歪みにまでへも向かわないので、細やかで妖しいニュアンス⋅複雑な可能性を出すべく題材が、極めて現実的⋅定型そのものとなっている。
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30年前位か、私よりも年下も20代半ばで安定収入あり、職に就かなくてよくなって映画鑑賞専任の人が「最近は千葉泰樹に夢中なんですよ」と言って、アレッ?と思った。それくらいノーマークの作家だった。しかし、みるみる泰樹人気は拡がり、誰もに愛される公認の、稀有の作家となった。それでも私が感心した作は、晩年?の『二人の息子』『河のほとり』くらいで、評価しないという意味でもなく、後味⋅細部の決定感覚が、ズレたまま来てる。
『恐山~』の前に観たのが、やはり再見も殆ど記憶に残ってない『沈丁花』だった。前回は、ナマ司葉子に道を聞かれる(少し中国地方訛りのイントネーションで、サバサバしたひとだった)偶然に遭遇し、その時やってた作に駆けつけたのだった。でも、やはり作品は駄目だな。多彩で親密キャラ⋅近場の場の行き来組立⋅結構能動カメラワーク⋅サイズも角度もしっかり歯切れいい、のだが繊細ニュアンス好みの私にはガサツがちと堪えられない。馬鹿でストレートなオチが重なり、各者大笑い連なるアケスケさが1⋅2回よくも、歯科医院に生まれた四姉妹、上の二人が父急死の後を継ぎ⋅家計支え⋅売れ残り、母⋅伯父らが患者に装わせて等、候補が創られ⋅また生まれるのへ対し、姉妹の一筋縄ではゆかぬ本音。味わい深い名優⋅スターの飽きない散りばめも一級品だが、無神経⋅無配慮⋅外の形極め過ぎ⋅無理な呼応、が浮きだってる。
2本ともまだ移動のウェイトが大きいが、ズームの偏重の芽が伺える。特異な映画の圧倒的力量とは別の、映画一般の特有の空気に親しむ事、これがなかなか出来ない。家てテレビ等で映画を観ようとしても、明るく他にも出来る事があると、ついそっちに傾く。スピルバーグですら、いいなぁと分かるまで、丁度25年、四半世紀かかった。
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