覡万華鏡

アメリカン・サイコの覡万華鏡のネタバレレビュー・内容・結末

アメリカン・サイコ(2000年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

裁かれない辛さ、それはSNS時代にも通ずる



00年代初期特有のまだ古き良きアメリカ臭と言いますか、我々ニッポン人が憧れていた頃のアメリカの感じがプンプンに漂うこの頃特有のアメリカ臭のする作風にまずはノスタルジーを感じる事でしょう。

そして本編。正直ミソ気味の僕でも引くぐらいの超男尊っぷりを披露してくんですが、まあそれは良いとして何だか宙に浮いたようなセリフがずっと続くんです。

いくら昔の映画とはいえ流石にセリフ臭い箸にも棒にもかからないような ”セリフらしいセリフ” が紡がれているだけのようなシーンの連続。この違和感は何なのか?気の所為では・・・・無かった。

そう、最後の最後の大どんでん返しとして、実は今までの行為は全部実在しない、妄想だったのではないか?という事が示されるのです!!何かトム・クルーズのバニラ・スカイだとかゲームのEver17みたいにこの頃は流行りだったんですかね(ネタバレ気味に)。

でも面白い事に、『『やっぱり現実だったんじゃないか』』ってそんな感じで終わるんです。そして最後までそこは明確にされないまま、この物語は終わります。

一体この狂気の男の私生活を見せられ続けた二時間は何だったのか?この男は何故罰を受けていないのか?疑問が疑問を呼ぶので鑑賞後が非常に楽しい作品でした。



結論から言いますと、制作陣曰く事実だったそうです。じゃあ何故彼は無事なのか?それは当時のアメリカの特権階級を皮肉っているからなんだとか。序盤で主人公がとある人物と勘違いされてるけどそのままにしてる、みたいな件が有りましたがアレがまさに本作の本質のソレで、みんな他人に関心が無いのです。

だから殺人を真正面を向いて告白された弁護士も取り合わない、関わらない方向性に舵を切っていましたし、同僚達もジョークの延長線か事実だとしても聞かなかった事にしてるのか取り合わない。

普段から関わり合っているのに、本質的にはどうでも良いんです。でもこれって今の社会では普通じゃないでしょうか?????

思えば自分も人の顔をちゃんと覚えていなかったり、名前は何だったっけ?なんて日常茶飯事です。会社の同僚で名前は知らないけど一部分の作業でずっと付き合いが長い、みたいな人くらい居るのではないでしょうか?現代社会ではむしろこのアメリカン・サイコの社会が普遍的になっているとも言えるのです。もしかすると公開当時には既にそうだったのではないでしょうか。

人々は充実し、恵まれていくと共に人の助けを必要としなくなるが為、他人に本当の関心を寄せなくなる。だから表面上の関わりしか無いのが、まさに現代社会にグッサリと刺さっている内容だったとは言えるのでは無いでしょうか。



話題を戻しまして、本作ややこしいのがやっぱり非現実も混ざっているという点です。チェーンソウが命中したり警察官と撃ち合って勝利を収めてるようなシーンはどうやら妄想らしいのです。まあ弾倉に何発装填されてるんだ?って不思議なシーンなのでそこはジョーカーよろしく古くからの手法なんだなあと学べたり。

主人公の彼女に殺人を打ち明けても取り合ってくれなかったのも恐らく殺人関係についての言及は現実ではしていなかったというところでしょう。流石に彼女がそこをスルーするのはありえないはず。。。。

つまり、本作の結論として見えてくるのは自らの特権階級によって手に入れた富や名声と引き換えに、人々からの無関心その終わらない地獄。主人公が刺激を求めていたのも元々はそういった生活に生き甲斐を感じなかったからで、一方で裁かれる事も望んでいた。

そこに救いが有ると信じて、ある種今の現実が一種の地獄だった彼なのですが、最後の最後でそこらも抜け出せない事を悟るのです。

普通なら悪いことをすれば罪に問われますが、現代社会でもSNSなんかで陰口を叩いたり誹謗中傷をしたり、バイトテロなんて可愛いもんでセカンドレイプや詐欺と千差万別ですよね。

別にそこまで露骨な犯罪ではなくとも、例えば女性なら性を売って金儲けをしている方が多いはずです。そこに少しでも罪悪感を感じていて、でも裁かれる事は無い、もしくは裁かれなかった。。。。。

そのときに感じる虚無感や終わらない”何か”を、明確な区切り無く日常と共に狂気が続いていく今のSNSネット社会全盛の空気を、20年以上も前に描いていたのが、このアメリカン・サイコの本質だったと言えるのかもしれません・・・・・・・・。
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