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下町の太陽のkojikojiのレビュー・感想・評価

下町の太陽(1963年製作の映画)
3.5
No.1593
2024.01.24視聴 松竹1963年
山田洋次長編デビュー作と今朝の新聞で書かれていたが、確か2作目のはずだ。
そんなことを思いながら新聞記事を読んでるうちに、急に観たくなった。
この映画、倍賞千恵子のデビュー作でもある。
題名から、「キューボラのある街」とイメージが重なる。
ただ自称サユリストの私はこちらのデビュー作もまだ観ていない。🤭

 山田監督の原点、あの寅さんの世界がすでにここにはある。
下町の太陽はいつか「さくら」になるんだなぁーと思いながら観ていた。

 町子(倍賞千恵子)は、東京下町にある石鹸工場で女工をしている。
 町子は、同じ工場の事務職員の毛利(早川保)とつきあっている。
 毛利は正社員になるため社員試験の勉強に励んでいる。そして、正社員になったときは、町子と結婚し、下町を抜け出すことを夢見ている。
 ところがこの試験をきっかけに毛利との結婚が何故か自分の生き方と違うような気になっていた。
 それは鉄工所の行員北良介(勝呂誉)の強引な告白とか彼の素朴な生き方に何故か共感し、その存在が気になり出していたこともあった。
 
 しかし、彼女はそんなに簡単に気持ちが傾いたわけではない。彼女は彼を不良と誤解している。その雪解けのシーン。
 一日だけのデートの約束で浅草の遊園地花屋敷に行くシーンがある。
そこで二人が交わす会話
町子「あ、流れ星」
北「見えるわけないだろう。
  見てないのにどしてわかるんだ」
町子「だって、"ルルルー"って音がしたもの」
二人は笑う。
こんな些細な会話で少しずつ打ち解けて行く。山田監督のうまさを感じるシーンだった。実はこのシーン、倍賞千恵子の話だと、かなり山田監督は悩んでいてOKがなかなか出なかったらしい。それだけ大事なシーンだったのだ。きっと。

 ラスト、主人公町子はこの下町で暮らすことを決意する。
 そこまでのストーリー展開が、山田監督の下町、そこで暮らす人達に対する愛情をひしひしと感じられる。
 山田監督はこの映画を撮り終えて、きっと、これから自分が撮りつづける映画はこれだと思ったに違いない。そんな気がしたが。
山田監督の映画はまさにここから始まる。

 と書いてふと思った。
 決して誤解してはいけない。私はこの映画は決して傑作とは思わない。今から観ると、変なシーン、似合わないBGM、単純すぎるセリフなどなど不満はたくさんある。しかし、歌謡映画の枠組みの中で、山田監督が精一杯自分を出した作品。そんな気がするのだ。もちろん倍賞千恵子のイメージを絶対崩してはいけないという制約の下で。
(逆にそれが「さくら」への道に繋がったのだろうが)
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