ニャーすけ

息もできないのニャーすけのネタバレレビュー・内容・結末

息もできない(2008年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

韓国のエンタメが世界を席巻し、韓国映画が名実ともに権威となってしまった現在、本作のように「韓国が見せたくない韓国」を剥き出しに描いた作品は、もしかしたらもう二度と撮られることは無いのかもしれない。

本作が冷徹に暴き出す韓国社会の闇とは、儒教を背景とする韓国の男たちによる(主に女性に対する)家庭内暴力と、その負の連鎖。それは監督/主演/脚本のヤン・イクチュンが演じる主人公サンフンの「韓国の親父ってのは最悪だ。どいつもこいつもてめぇの家族の前でだけは金日成になった気でいやがる」という名台詞にも顕著だが、女性への抑圧に対する問題意識は近年やっと世界的に高まってきているもので、それを10年以上前の時点でここまで克明に描ききっているヤン監督の慧眼には敬服するしかない。

ただ、本作はヤン監督の実体験から着想を得た半自伝的な要素が強いそうなので、インテリが安全圏から批評家ごっこに興じるような軽薄さは皆無で、むしろ彼が実際に社会の泥濘で受けてきた痛みや苦しみが、ありのままの汚く醜いものとして作品の血肉となっているのが素晴らしい。
サンフンも父親の暴力が原因で母親と妹を亡くしており、そのせいでサンフン自身も暴力以外に人とコミュニケートする術を知らぬまま成長し、けちな取り立て屋として生計を立てているという人物造形の生々しさ。彼が、娘殺しの罪で15年の刑期を終え出所してきた実の父親を繰り返し暴行する際も、拳を振るうサンフンのほうが精神的にはずっと深く傷ついているように見えてしまう。

そんな彼と奇妙な友情を育むのが、ベトナム帰還兵の父親は統合失調症、姉にだけは威圧的なチンピラの弟(こいつだけはマジで死んだほうがいいと思う)には毎日金をせびられるという崩壊家庭を持つ高校生のハン・ヨニ。
このヨニを演じるキム・コッピがとにかく凄い。彼女の「眼の芝居」がもたらす圧倒的な実在感は只事ではなく、本当にヨニという子そのものにしか見えない。本作以降は作品に恵まれず、彼女が女優として大成しなかったのは、韓国のみならず世界中の映画ファンにとって大きすぎる損失だったと思う。

ヨニを見ていて本当に辛いのが、彼女がサンフンの前では自身の過酷な境遇をおくびにも出さないこと。あんな家庭環境では、他人に救いを求めるような甘い考えを持つことすらできないのかもしれないし、芯がある子なので憐憫を屈辱に思っているのかもしれない。
そして何よりも、自分と同じずたずたの心を持ったサンフンと一緒の時間だけは、せめてすべてを忘れてささやかな幸福を享受したいというヨニの想いが泣かせる。そもそも、実はサンフンとヨニとは互いの苦悩をはっきりと語り合ったりなどは一切せず、しかしそれでも本能的な魂の共鳴を感じて惹かれ合うので、だからこそ彼らの関係にセクシャルな要素はまったくない(サンフンが童貞にすら見えるのは、彼が自分も父親と同じ轍を踏むことを恐れているからという必然がある)のに、あの膝枕には他のどんなセックスシーンよりも切実なエモーションがある。

自分と同じ孤独な魂の優しさに触れ、サンフンがついに暴力以外の方法で人を愛することを知ったその矢先、彼が今まで振るってきた暴力のツケを払わされる結末は本当にやるせない。
ヨニが暴力の「継承」のまさにその瞬間を目撃し、呆然と立ち尽くす姿で幕を閉じる突き放したラストカットもめちゃくちゃキツく、毎回この映画を観るとクソデカ溜息をついてしまうのだが、人間見たくないものを見てクソデカ溜息をつく経験も絶対に必要だし、だからこそ本作は掛け値無しの大傑作なんだと思う。
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