いののん

許されざる者のいののんのレビュー・感想・評価

許されざる者(1992年製作の映画)
4.5
「人殺しは非道な行為。
人の過去や未来を奪ってしまう。」

そういう映画なんだろうなと私も心からそう思う。



だけど。だけど、
それでも、やらざるをえないこともある。
地獄に足を半分突っ込んでいる者は、
地獄からおいでおいでと誘いを受けている者は、
地獄へ行く覚悟がある者は、
それでも、やる。非道でもやる。



怒りが湧き起こると、倫理観という名の下に普段は眠らせているはずの、私の心のなかの暴力がむき出しになる。そして、倫理観と暴力性とが、静かにせめぎ合いを始める。いったん怒りが湧き起こったら。その怒りに自分が正当性を感じたら。怒りと「正義」(この正義が実にやっかい)が一緒になったら。やってしまうと思う。



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3回観た。


それほど数多くの作品を観ているわけではないけれど、クールでニヒル、ひとりスラリと高い位置から人を見ている。そのような印象があるイーストウッド、今回は違う。馬を乗りこなせず、豚小屋で顔を泥まみれにさせ、不格好な姿を何回もみせる。これは本気の映画だ、と私は思う。


先だった妻が自分を変えてくれたのだ、自分はかつての自分とはもう違うのだ、だからもう酒は飲まないのだと、繰り返し、言い聞かすように、自分に言う。その酒を再び口にする時。


狂気・執念の凄腕刑事ポパイとしてかつては名を馳せていたジーン・ハックマンが今作では保安官に。平素はユニークで、下手だけど大工仕事を愛する男が、キレるとみせる残虐性。


本当に上手い脚本。酒の使い方。夕陽をバックにした風景。半分影になって見えないイーストウッドの顔。鍵穴からのぞき込むかのような効果的なショット。


私が顔を切り刻まれた商売女なら、こう思う。「彼は、女も子どもも容赦なく殺したというが、その話は絶対に嘘だ。そんなはずがない。それは、盛られた伝説にすぎない。彼は、絶対に、女や子どもは殺してない。誰がなんと言おうと、彼は優しい男だった。私にはわかる。」
その想いを、一生胸に抱いて生きていくだろう。時折想い出して、自らの心をあたためるだろう。商売女は、誰がほんまもんの男なのか、ちゃんとわかっている。


私は、マカロニとか、ダーティーハリーとか、そういった映画を観るようになって、まだ日が浅い。それでも、映画のエンドロールの、最後の最後に登場するクレジットを目にしたら、泣かずにはいられない。胸に熱い想いが込み上げてくる。そして、熱い想いをかみしめたくなる。この映画は、あのクレジットをもって完璧に完成して幕を閉じる。閉じたあとにも余韻は続く。




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〈追記〉 2024年1月下旬
「ヴェトナム西部劇のサイクルが一段落する70年代なかばには、かつてアメリカの正義の概念と一体だった西部劇は、アメリカ文化のなかで居場所を失っていた。(略)たしかに、90年代前半には『ダンス・ウィズ・ウルブズ』と『許されざる者』の二本がアカデミー賞作品賞を受賞し、西部劇への注目が一時的に高まった。多文化主義の時代にふさわしく、マイノリティの視点を積極的に入れた西部劇が続々と作られた。」
(川本徹『フロンティアをこえて ニュー・ウェスタン映画論』森話社 2023年、13頁)
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