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ローズマリーの赤ちゃんのよのネタバレレビュー・内容・結末

ローズマリーの赤ちゃん(1968年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

現実と妄想の境目に線引きをせず、主体の猜疑心と揺れるカメラワークを連動させていったいどちらが正しいのかを見る者に委ねる演出は、今敏やダーレン・アロノフスキーあたりの監督に強く影響を与えているような印象を受けました。

出産の憂いが偏執的な妄想へと発展し、終いには全てが自身を脅かす陰謀に見えてしまう、というプロットだけ読むと類似性は無いように思えますが、人生を変える大きな経験を前にして震える精神状態を不気味さを交えて視聴者にぶつけた点で、『ローズマリーの赤ちゃん』に最も近い映画はデヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』なのでは、と思います。不安の種が「赤子」というのも両作に共通してますね。

さて、ラストに関しては、生命を授かる悦びを畏怖が上回り、赤子が呪われたように見えていたローズマリーが、その存在と真摯に向き合うことで、それらの疑念や恐怖が拭われ、親としての自覚が芽生えた、と私はそう捉えました。
終盤の大立ち回りは、一方的な母親像を押し付ける周囲に嫌気が差し、それらがローズマリーの脳内で歪められ悪魔崇拝に見えたということ。

「悪魔の子を宿した」と、嘆くローズマリーを尻目に、物語上は最後まで赤ん坊の顔が写されることは無かったのがその根拠です。(夢で見た悪魔の貌と重ねる演出はありましたが、それはあくまで赤子の顔がうつされたわけではないので)

本音を言えば単なるカルトの話になってしまうと捻りがなく面白みに欠けるので、妊婦の受難をサスペンスフルに綴った作品だと思いたいだけ。これで本当に悪魔崇拝だったらだいぶガッカリだなあ。
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