いののん

インディアン・ランナーのいののんのレビュー・感想・評価

インディアン・ランナー(1991年製作の映画)
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腑分けできない映画だ。この1本の映画から、腑分けとか、因数分解とか、そういうことができない。差し出されたものを、よく咀嚼もできないままに、そのまま受け取るしかない。時間が経ったあとでも、繰り返して観たとしても、たぶん私はうまく言葉に出来ないだろう。おそらくまだ私の手には負えない。それでも、何かを語りたくなる。語ろうとしたくなる。言葉も見つけられないままで。


にしても、ショーン・ペン。なんというやっちゃ。これが初監督作品だという。脚本も自身が担当したとか。挑戦しようとしたことの深さや複雑さや、この作品の出来を前にして、どのような賞賛を浴びせたら良いのか、これもわからない。妥当な言葉を見つけられない。


ブルース・スプリングステーィーンの「Highway Patrolman」を基に作られた映画とのこと。およそ30年ほど前の作品(1991年)で、兄で警官役はデヴィッド・モース、ヴェトナム帰還兵の弟役はヴィゴ・モーテンセン、父親役はチャールズ・ブロンソン、酒場のデニス・ホッパーなど、そうそうたる面々が出演。ちょい役でベニチオ・デル・トロまで(若っ)!


兄と弟。例えば、しりとり。例えば、語尾しばりの(燃えてた・耕してた・変わった)言葉遊び。兄弟は、幼き頃にそうやって共に時間を過ごしたのだろう。おとなになってもそれをやれば、気持ちはあの頃にかえるのだろう。(これ、わかるなあ。一緒に読んだ本とかのフレーズを言うだけで、気持ちがあの頃に帰るような)


兄弟がいる人が観たら特に、たまらない映画だと思う。どうかすると心の闇を抑えられなくなる弟、そんな弟を見守る兄。兄はきっと自身の闇を飼い慣らすことに慣れたのか。それとも慣れようと努力しているのか。
兄が気になる弟。兄の存在がずっと大きく、弟には、ある。この兄弟は、合わせ鏡だ。


インドの詩人であり哲学者のタゴール(といっても、この映画で知ったばかり)の言葉が、重く、ずっしりと心に沈む。
「どの赤ん坊も、神はまだ人間に絶望していないというメッセージをたずさえてくる。」


まだ絶望しなくてもよいのだ。
これはまだ、絶望ではないのだ。


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・「トゥルー・ロマンス」でアラバマを演じたパトリシア・アークエットが、ここでも超絶可愛い・とろけちゃう女の子を好演してる。


・ボカシなしの、ヴィゴの全裸は必見!
(全裸のナイスガイ!)
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