レオピン

デンジャラス・ビューティーのレオピンのレビュー・感想・評価

3.6
『Miss Congeniality』はミスコンの受賞者をさす言葉 相性があうとか 親近感がある うまが合うなど 
当時の好感度人気女優といえばこの人 サンドラ姉さん。『スピード』でブレイクを果たしたときは30歳。ハリウッドスターとしては決して遅くもない。早くから俳優兼プロデューサーとしても活躍していたがこの時選んだのは、奇しくも好感度とは何ぞやと考えさせられるようなテーマだった。

というのは半分冗談で内容はベタな笑いに満ちお気楽に見れる。よくこのシナリオでマイケル・ケイン 、キャンディス・バーゲン、ウィリアム・シャトナー、アーニー・ハドソンらを集めたなと思ったくらい。人徳すなぁ

どうでもいい笑いの寄せ集めは吉本か香港映画のよう(香港だったらカレン・モクあたりでやりそう)。小回りがきくが統一性に欠けるプロット。あんまり真剣に見てなかったせいか委員長の動機というか目的がよく分からんかった。最後はガールズパワーで乗り越えたったぜと無難な着地でしたよね?

今世紀になって急速にポリコレ度合いを高めているアメリカを横目にしている今からすると隔世の感がある。FBIの連中の高校の部室のような会話。誰をコンテストに潜入させるか話し合っているシーンや水着姿をよだれを垂らして見ているところ。一番は道場のシーン。あのお尻を叩くのはさすがにちょっと。。

この辺の価値観をめぐって時代は変わった。いっとき、美人すぎる◯◯という言葉が流行ったが今はさすがにもう聞かない。日本のミスコンについて軽く調べたが、たかの友梨ビューティコンテストとかミスユニバースは相変わらずまだ続いているのね。

ミスコンの問題としては、単に美を競うものになっていない点ではないか。世界平和とかを安易に口走ってたように、「美しい」が「正しいこと」に直結してしまっているところ。それが価値観の固定化を生み美意識そのものも狭くする。ルッキズム批判からミスコンを否定する人はそこをあんま言わないな。

大きな流れとしてはもう消えていく文化だと思う。学生の運営するミスコンじゃ今や顔出しなしの審査とかインフルエンサー能力を競いあうとか、少し訳の分からん方向へ向かっているようだ。(じゃヤメレバいいじゃん)

でもこれからはきっと水着審査程度で競っていたのはまだ牧歌的だったと思える時代がくるのではないか。もう片足を踏み入れつつある評価社会では、人の評価は360度の全評価。時間も空間も越えてジャッジされそれは未来永劫に残る。人々は笑顔を強制され、より窮屈により意地悪になる。まさに ”地獄への道は善意で敷き詰められる”
ルッキズム批判から始まったものが結果的に、超絶見た目至上主義のキラキラ地獄を後押しする。ハァー

そうなったとしても、このサンドラ・ブロックの「隣りのお姉さん」タイプは強いのだろうな。今のうちに、豚鼻を鳴らすぐらいの特技というか強めのクセを磨いておこう。
レオピン

レオピン