SANKOU

友だちのうちはどこ?のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

友だちのうちはどこ?(1987年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

友だちの家にノートを返しにいくというとてもシンプルなストーリーだが、非常に寓意的で社会に対する問題提起がしっかりとある作品だと感じた。
イランの貧しい村が舞台なのだが、とにかく大人たちは本質を理解しようとせずに、子供たちに自分の作ったルールを押し付けようとする。
誰もが生活に余裕がないようで、自己中心的な考えしか出来ない。そもそもこの映画の登場人物は誰もまともな会話を交わすことが出来ない。
まずは学校の先生だ。彼はネマツァドという少年がノートではなく紙切れに宿題を書いてきたことを叱責する。
どうやらネマツァドはこのことで叱られるのは三回目らしい。
先生はネマツァドに次に同じ過ちを繰り返したら退学にすると脅す。
実はネマツァドのノートを従兄が持っていってしまったために、彼は紙切れに宿題を書かざるを得なかったのだが、先生はそういう事情があることを全く考慮しない。
そもそもノートに宿題を書かせる一番の理由が、ルールを守ることの大切さを学ばせることにあるというのが馬鹿げている。
ネマツァドの親友であるアハマッドは間違えて彼のノートを持って帰って来てしまう。
今すぐノートを返しに行かなければネマツァドは退学になってしまう。
彼は母親にそのことを伝えるのだが、何を言っても母親は宿題をしなさいの一点張りだ。
ネマツァドが退学になってしまうと訴えても、先生は正しいことをなさるという見当違いの答えを返す。
宿題をしろと言いながら母親は彼に、赤ん坊をあやさせたり、たらいを持ってこさせたりと色々と用事を言い付け、さらにはパンを買ってこいと命令する。
ついにたまりかねたアハマッドは、母親の目を盗んでネマツァドにノートを返すために家を抜け出す。
普通に考えれば明日先生に事情をきちんと説明すれば何とかなるはずなのだが、おそらく先生はアハマッドの言葉に聞く耳を持たないだろう。
アハマッドは遠く離れたポシュテの村を目指すが、誰もネマツァドの居所を知らないし、誰もアハマッドに親切にはしてくれない。
それどころか大人たちは自分たちの都合のいいようにアハマッドを利用する。
彼の祖父もいい加減な男だ。
アハマッドが友だちにノートを返す必要があること、さらにパンも買わなければいけないことを説明しても、大人の言うことを聞けという一点張りで彼に煙草を取りに行かせる。
しかも彼は煙草を持っているのだ。彼は孫に礼儀をしつけるためにわざとそうしたと言うのだが、孫の事情を全く理解しようとしない祖父の方が礼儀知らずだ。
彼は子供の頃に父親に厳しくしつけられ、殴られたこともあったそうだ。だから彼は自分の子供や孫にもそうするべきだと考えている。
厳しく殴り付ければ礼儀正しくなると彼は信じている。面白かったのは彼の会話の相手が、もし元々礼儀正しい子供ならどうするのだと尋ねると、彼は考えた挙げ句、それでも何らかの理由を作って殴ると答える。
やっぱり本質を全く理解していない。
こんな人間ばかりだから、この村の労働者が搾取されるのも仕方がないと思った。
扉職人の男もひどい奴だ。彼はアハマッドが自分のものではないと言っているのに、自分の要求を通すことしか考えていないようで、ノートのページを一枚奪い取る。
そして用が済めば、後はアハマッドが何を話しかけようと無視を決め込む。
アハマッドの行動も決して賢いとは言えないが、あまりに非情な大人が多すぎて、彼の直向きな姿についつい観ている方は肩入れしたくなってしまう。
アハマッドが知っているのはネマツァドがポシュテの村に住んでいるということだけまが、ポシュテの村だけでも区画が四つに分かれているらしく、さらにネマツァドの性も多いらしい。
自分の村とポシュテの間のジグザグの道を何度も行き来するアハマッドの姿がとても印象に残った。
皆がアハマッドに対して冷たい仕打ちをする中、一人の老人が初めて彼のために力を貸そうとする。彼もまた扉職人であるようだ。
初めはとても親切な人だと思ったが、彼もどうやら寂しさを埋めるためにアハマッドを利用しようとしているようだ。結局その老人が案内した家は別人の物であり、彼もアハマッドの助けにはならなかった。
老人の扉に関する言葉が印象的だった。彼は木製の扉を作り続けてきたのだが、最近多くの家が鉄の扉に交換していることを嘆いていた。確かに鉄の扉は頑丈だが、自分の作った扉に問題があったのかと。
実は問題ありだったのだ。
冒頭でも何度も勝手に開いてしまう教室の扉が描かれているし、村人の家の木製の扉が壊れているという供述もあった。
壊れているのにそのままでいいと頑固に言い張る老人もいたが。
結局扉職人の老人も物事の本質は理解していなかったのだろう。
友だちにノートを返せないまま、そしてパンも買うことが出来ないまま、アハマッドは帰宅する。
父親はアハマッドを叱りつけずに、虚ろな目でラジオを聞いている。
アハマッドは夕飯も食べずに宿題を始める。
翌日教室にアハマッドの姿がない。早速先生は宿題のチェックを始める。
一人の児童が宿題を終わらせられなかったのだが、その理由は父親の畑仕事を手伝わされたからだと言う。
しかし先生は子供は勉強を優先させるべきだと、やはり根本的な問題を理解していない発言をする。
宿題を出来なかったネマツァドが項垂れていると、そこへアハマッドが遅れて登場する。
アハマッドは自分の分だけでなく、ネマツァドの分まで宿題をやって来たのだ。
おかげでネマツァドの退学は免れるのだが、気持ちのいいハッピーエンドとはならない。
こんな大人たちの姿を見て育った子供は、同じように本質を理解しない大人になっていくのだろうなと思った。
自己中心的な人間ばかりの中で、人のために行動出来るアハマッドはとても勇気のある少年であり、願わくば彼が大人になっても人の心に寄り添える人間であって欲しいと思った。
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