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ミリオンダラー・ベイビーのsatoshiのレビュー・感想・評価

ミリオンダラー・ベイビー(2004年製作の映画)
4.7
【監督強化月間③ クリント・イーストウッド】


 クリント・イーストウッド監督が、2度目のオスカーに輝いた作品。観る前に抱いていた印象は、「イーストウッド版の『ロッキー』なのかな」と思っていたのですが、実際は前半は似ていますが、後半は尊厳死を扱った、非常にイーストウッドらしい「倫理観」に挑む作品でした。その意味で、本作はどちらかと言えば、「あしたのジョー」の方が近い印象です。

 本作の主人公は、マギー(ヒラリー・スワンク)。彼女は年齢がもう30を超えていて、ウェイトレスとして働いていますが、日々の食事にも困るほどの貧困の中にいます。そんな彼女が、最後に目指したのが、ボクサーでした。早速フランキー(クリント・イーストウッド)のジムに入りたいと願います。最初は断られますが、押しの強さからフランキーを負かし、遂にトレーニングを受けるまでになります。そこから破竹の勢いで駆け上がっていく姿は、観ていて大変面白いです。

 このように、「底辺だった者が上り詰める」ことはアメリカ映画ならば『ロッキー』を思い起こさせます。序盤で、手塩にかけた教え子を他のマネージャーに奪われる下りは『ロッキーⅤ 最後のドラマ』を思い出さずにはいられませんでした。

 ただ、物語は中盤から大きく流れを変え、「生きること」の話になっていきます。自分のやりたいことをやり、精一杯生きたマギーは、フランキーに安楽死を願うのです。ここは『ロッキー』よりも「あしたのジョー」だったと思います。ジョーもパンチ・ドランカーになりながらも、「真っ白に燃え尽きる」ことを目指し、戦い続けました。

 さらに、イーストウッドはこの安楽死に対して、宗教的な挑戦もしています。劇中でフランキーは自らの宗教に対し、葛藤をした末、「彼女のために」その倫理を犯すのです。この宗教的な障壁によって、この安楽死の問題が、よりドラマチックになっていると思います。

 ただ、本作はこのような「あしたのジョー」的な話なのではなく、別の生き方も示されます。それは完全に『ロッキー』的なもので、エディ(モーガン・フリーマン)とデンジャー(ジェイ・バイチェル)の関係がそれです。エディは引退したボクサーですが、それでも生きています。デンジャーは口だけの雑魚です。彼はその口先が災いして、いじめに遭い、ジムを逃げ出します。そんな彼に、エディは言います。「人生には、1回くらい負けることはある」と。エディ自身は燃焼しきれなかった男ですが、まだ生きています。そしてもう一度、件のいじめのとき、「立ち上がる」のです。「1回負けたとしても、また立ち上がって生きればいい」。戻ってきたデンジャーを観て、そんなことを思いました。

 このように、本作は『ロッキー』的な、そして「あしたのジョー」的な生き方を描いた作品だったと思います。
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