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ミッションのTOTのレビュー・感想・評価

ミッション(1986年製作の映画)
4.6
地上の楽園を築こうとした者たちの戦いと祈りと抱擁。
1750年代、スペイン植民地下の南米、ジェレミー・アイアンズ演じるイエズス会宣教師ガブリエルとロバート・デ・ニーロ演じる奴隷商人メンドーサ。
彼らと先住民族グアラニー族との交流を軸に、伝道村の形成、植民地社会と政治的圧力を描く傑作。

DVDのジャケットにも使われている、宣教師が十字架にかけられてイグアスの滝を落下していく冒頭で作品世界に引き込まれ、次いで、その激しい水流の滝横の崖をガブリエルがよじ登る姿は、彼ら宣教師の伝道にかける情熱を印象づけて鮮烈だ。
前半、ガブリエルがオーボエを吹いて言葉の通じないグアラニー族と心を通わせる場面と、弟を殺したメンドーサがグアラニー族から赦しを得る場面はハイライト。
メンドーサが罪の代わりに背負った重しをグアラニー族が解いてやる時、メンドーサは新しく生まれ治すように赤子のように泣く。
それを笑いながら受け入れるグアラニー族とガブリエル、かつては狩りまたは敵対した両者が互いを受容する感動的な場面。

その後、ガブリエルとメンドーサや他の宣教師とグアラニー族は、キリスト教とグアラニー族の伝統が結びついた伝道村を形成していく。
前半と後半のブリッジとなるそれらの場面は非常に美しく、村での生活を背景にメンドーサが読む「コリントの信徒への手紙13章」は作品の核とも言えるミッションの崇高な意志を表すようで心にしみる。

後半、スペインとポルトガルの政治的圧力により枢機卿から伝道村の廃止を命じられるも、その命に背きグアラニー族と運命を共にすることを選ぶガブリエルとメンドーサ。
しかし、ガブリエルは戦わず僧侶として祈ることを選び、メンドーサは僧侶の身を捨ててグアラニー族と共に戦うことを選ぶ。
最後に祝福を与えてほしいと言うメンドーサの願いを断るガブリエルの言葉が印象的だ。
「君が正しければ神が祝福する。過った事なら祝福は無意味だ。力が正しいのならこの世に愛は必要なくなる。そうなのかもしれぬ。私はそんな世では暮らせない。」
膝まづいていたメンドーサの手を取り、立ち上がらせるガブリエルはメンドーサは抱擁し、祝福の代わりに自身の十字架を与える。
グアラニー族と2人の祈りと戦いの結末は不条理で悲しいが、枢機卿の懺悔と、残されたグアラニー族の子供が戦いの後の川辺でガブリエル達と作ったバイオリンを拾いあげて旅立つラストは微かな希望を灯す。

静かで内省的だが内に激しいものを秘めたデ・ニーロと、濡れた瞳で愛を語るジェレミー・アイアンズの対比。
また、何と言っても劇伴が美しく、初めてモリコーネのサントラを買った。
オーボエ、ギター、太鼓と多様な楽器が絡みうスコアの数々は、登場人物たちとの関係を象徴するようで、台詞の少ない寡黙な物語を裏支えする雄弁さだ。

スペイン植民地での物語でグアラニー族以外の言語が英語なことは残念だけど、それが些少なことに思える。
最初は淡々と見てしまったが、この二週間、ブルーレイの特典映像である撮影ドキュメンタリーも含めて繰り返し見ている。
史実を基にした作品で、グアラニー族の配役に実際の末裔をと思ったものの叶わず、似た生活習慣を持つワナナ族を見つけ出し、彼らに交渉し実現した今作。
映画も見たことのない彼らに全く異なる文化圏の自分たちが関わることで、彼らの生活に影響を及ぼすことへの逡巡や、識者に意見を伺ったこと、彼らがなるべくスムーズに生活できるようロケ地の近くに元の生活と同じ様式の家を作ったことなど興味深い撮影の舞台裏が語られる。
また、ワナナ族もグアラニー族を演じるにあたって自ら意見を言ったり交渉をしたりと、今作の素晴らしさが、脚本やモリコーネの音楽、デ・ニーロやジェレミー・アイアンズの演技だけでなく、彼らとの共同作業によるものだと分かる。

というわけで、二週間かけても長文になるくらい消化しきれてないのだけど、先に進めないからとりあえず書きました。
だってモリコーネの音楽を聴くたびに、失われた地上の楽園の光景がまぶたに浮かんで涙が止まらない。
そして、メンドーサが読んだ「コリントの信徒への手紙13章」が思い出されてならない。

“この世に存在する信仰と希望と愛、三つの中で最も偉大なものは愛である”
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