嫌な予感しか、しない。
オディアールの映画は、そんな油断出来ない、荒々しい恐怖に包まれている。
所詮、日常はそういうものかもしれない。
そして次の展開が、極端に言うと次のカットが読めないから、グイグイと引き込まれる。
所詮、人生とはそういうものかも知れない。
きっと良い、穏やかな少年時代、愛に包まれたそんな時代を、この主人公は過ごして来たのだろう。その時に、両親の愛に包まれながら、習得した“ピアノ”の、身体にこびり付いて離れないかけがえの無い記憶を頼りに、彼は真夜中から抜け出し、光射す方へと向かう事が出来るのだろうか?
きっと向かえる。
ディーパンも、シャチに足を食われた女も、耳の不自由な女とその恋人も、みんな明日へと向かえた。
下層に住み、“ミッドナイト”に生きる“闇”の住人たちは、皆、抜け出せるのだ。
人間は壊れても必ず治る、
子供は絶対死なない、のである。
暗黒なるオディアールの世界における人間は、一見破滅へと向かっている様に見えるが、実は正反対なのだと言う事が解った。
男も女も、死なない。これがオディアールだ。
この、今まさに駆け上がっている、絶頂期のオディアールの作品、その絶頂振りたるや、実に気持ちが良く、映画的に絶好調だった。
因みに、その絶頂は、セザール賞を総ナメにするのだが、特に助演男優賞受賞の父親役ニール・アルストラップが懐かしい。名作『ミーティング・ビーナス』(91)の主人公の指揮者である。また『インドシナ』(92)のベトナム人木偶の坊女優リン・ダン・ファンが、その無味乾燥振りを活かし切っていて好演。
お馴染みエマニュエル・ドゥヴォイスも、ゲストながら、前作同様に素晴らしい。
最近では『教皇選挙』(24)で活躍中のステファーヌ・フォンテーヌ、そのカメラも効いている。