早稲田松竹で『ヤンヤン夏の想い出』35mmフィルム上映。初のスクリーン鑑賞。大学図書館の視聴覚室での体験とは大違いで、音も凄かった。フレーム外に流れる音、人それぞれが持つ固有の時間感覚。人生最後の青春もいいけど、ヤンヤンのような存在、感覚をいかに守っていくか、蘇らせるか。
2020/2/4
凄過ぎる…
3時間の中に様々な人間の不器用な生き方が描かれる。それぞれの持つ信念は異なり、また流動的なもので、これと言った正解というものはない。本作はそのどれもを否定せずにどんな人間の在り方でも肯定しようとするような優しさがあった。
「お互いに何が見えているか分からないとしたらどうやって分かり合うの?… 前からしか見えないなら半分しか分からないってこと?」
中盤、幼いヤンヤンは父親に対してこのような台詞を呟く。
人間は多面的な存在であり、話し相手の背中、そして自分自身の背中が見えないように、誰であろうと人間を完璧に捉えきれない。だからこそヤンヤンはカメラでしきりに他人の背中を撮る。
そして、中盤の台詞に対する彼なりの解答として、ラストにヤンヤンはこんな台詞を言う。
「知らない事を教えてあげたり、見たことのないものを見せてあげたら、きっと毎日すごく楽しいと思うよ」
それはヤンヤンが編み出した、お互いの視野を補完し合うための最適解なのだと思う。
初めてエドワードヤン作品を楽しめた。