確か2度目、いやテレビ放映でも観たのかな、
久々だったけど、インパクト強いいろんな場面を覚えていた。
けど、不思議とラストを忘れていた、何故?
あらすじだけ書けば、
夫が仕事ばかりで悩みも聴いてくれない妻が家を出て行く。夫は不慣れな子育てに悪戦苦闘するが、だんだん父子の絆を深めていく。ある日、妻が子供を引き取りたいと裁判を起こし、親権問題の裁判が始まる
って、極めて私的な、ある意味どこにでもある、しょぼい筋書き。
でも、これが世界的な歴史的な作品となっていく。
非常に格調高いし、骨組みもしっかりした重厚なドラマになっている。
もし、僕が大学で映画鑑賞を教えるなら、初期の入門編にこれを選ぶかもしれない。
映画は、宇宙に飛ばなくても、壮大な歴史話でなくても、
一つの家庭、1組の夫婦を丹念に描くことで、
普遍的で感動的なドラマが作れるという見本みたいな映画だと思った。
冒頭から上手い!
メリル・ストリープのアップと独白。
それは子供に向けられている。
カメラが切り替わる。彼女の深刻さと全く別次元に存在しているダスティン・ホフマン
この映画を、夫が可哀想とか、
メリル・ストリープが身勝手だとかで
論じるのは違っていると思う。
ただ、言えるのは、この冒頭わずか数分で示されたこと。
この2人は、同じ次元に居ないのだ。
別れを告げる妻に夫は突然のことのように
「Why?」を連発する。
この映画は2人が別れる理由を明確にはしていない。それが泥沼劇にならずに、品と質を保っている要因の一つかもしれない。
そのあと、有名な映画史上1番不味そうな朝食シーン。
これは終盤のある場面ともリンクしている
この作品には、扉がよく出てくる。
夫と妻 親と子
家族といえ、私たちはそれぞれが心の部屋を持っていて、扉を持っている
ラストに出てくるある扉も、
それが象徴的に描かれていたような気がした。
最初に結末を忘れていたと書いたが
ここではどちらが勝ったはないのだ。
むしろ、どちらも負けた、傷ついたのだ。
扉が各々ある個人の集まりである、家族
そこをズームアップしていくことで、
他者との関わりでしか生きていけない人間の本質とその哀しさが見事に描切り替わる切った作品であった。
最後に、本作でアカデミー助演賞を取ったメリル・ストリープの格段の甘さ!
裁判シーンでの眼の動きの不安定さ、
戸惑い、葛藤、
多角的な心の揺れを若い時から表現されていたんですね。凄い!