ブタブタ

他人の顔のブタブタのレビュー・感想・評価

他人の顔(1966年製作の映画)
4.0
安部公房の小説「失踪三部作」の一つ『他人の顔』を安部公房・脚本×勅使河原宏・監督により映画化。

高分子化学研究所の上級研究員である「男」はある実験中、液体酸素の爆発により顔がケロイド状に焼け爛れてしまい包帯グルグル巻きのミイラ男状態になってしまう。
醜く変貌した自分は妻に愛想つかされると言う強迫観念に取り憑かれ精巧なそれも元の顔とは全く違う「仮面」を付けて妻を誘惑しようとする。
「自分の妻と姦通する」と言う妻の自分への裏切りを自分で仕掛け、妻が誘惑に応じない事を前提とした、相手に初めから答えを要求しその答えが得られなければ自分への裏切りだと言う誠に身勝手な自虐的行為。

ジャンルの欄に「サスペンス・SF」とあるんですが正に科学(化学)が人間の肉体と精神に齎す変容とそこに現れる新しい地平とも言える世界を描き出してる作品で、安部公房は60~70年代にこうした小説を発表してますけど同時代の作家JGバラードが提唱した「ニューウェーブSF」=外宇宙ではなく内宇宙へと向かって行くSF―精神世界で繰り広げられる自己との戦いや内なる地獄、やがてそれらは現実の世界や肉体までも変質させていく―で、『他人の顔』は顔と言うアイデンティティを喪失して社会・他者との関わりを失った(と思い込んでる)「男」が『他人の顔』と言う科学技術で造り上げた人工の顔を使って自分を隔絶した(と思い込んでる)妻や社会に対して歪んだ復讐に走る姿と、やがてそれによって顔だけでなく全てをうしない破滅して行く姿を不気味かつ恐怖かつ滑稽に描いてます。

『クロニクル』の主人公が超能力を手にしてその力が外へ外へを向かい破滅して行く様に『他人の顔』の「男」は顔と言う「アイデンティティ」を失った事によりどんどん内へ内へと己の精神に対する「自分への侵略」を開始している様で之もまた「内宇宙」=己の精神への侵入。
しかしそこは空っぽの世界で果てしない虚無の無間地獄であり「男」が救われることは無い。

安部公房・作による『壁』の名前を喪失した男や『箱男』の「箱」を被り「人としての存在」そのものを放棄した男、そして顔を失った『他人の顔』の「男」も人として当たり前にあった物を失うとどうなるのかと言う一種の思考実験の要素も有りつつ、精巧な〈仮面〉もただの〈包帯〉も知的障害の少女(市原悦子)がどちらを付けた「男」も同一人物だと見抜いた様に全ては男の独りよがりでありそれによって妻(ひいては男にとってのセカイ)をも失う事になる悲惨な結末が待っている。

取り留めのない感想になりましたが安部公房はやっぱり難しいです(>_<。)

磯崎新による病院の美術デザインも素晴らしく、モノクロの映像も相まって透明プラスチック板にプリントされたダヴィンチの人体図や透明ケースに入った臓器、義手義足等がディスプレイされていて「男」の為に人工義面を作る医者(平幹二朗)の異常性が分かり『セブン』のジョン・ドウの部屋みたいな狂った現代美術と言った趣きです。
ブタブタ

ブタブタ