サマセット7

子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつるのサマセット7のレビュー・感想・評価

4.2
子連れ狼シリーズ第一弾。
監督は「座頭市物語」「眠狂四郎」シリーズの三隅研次。
脚本・原作者は小池一夫。
主演は「姿三四郎」「魔界転生」の若山富三郎。

公儀公認の介錯人であった拝一刀(若山)は、その地位を狙う裏柳生一党の策謀により、妻を含む一族郎党を皆殺しにされ、自らは幕府の逆賊の濡れ衣を着せられる。
裏柳生への復讐を誓った拝一刀は、一族唯一の生き残りである幼き長子大五郎と共に、剣客として旅銭を稼ぎつつ流浪の旅に出る…。

スターウォーズのスピンオフドラマ・マンダロリアンが影響を受け参考にしたことで知られる、日本が誇る時代劇映画シリーズの第一弾。
原作は小池一夫原作/小島剛夕作画の劇画である。
手押し車に幼子を乗せて、武芸百般の厳つい浪人が刺客商売をしながら、自らも刺客に追われつつ、使命を果たすべく旅をする、という設定は、マンダロリアンそのものである。
その他ロードトゥパーディションやキルビルのネタ元としても知られる。

1972年の映画であり、同時期にはアメリカで、時計仕掛けのオレンジ、ゴッドファーザー、エクソシスト、燃えよドラゴンなど、歴史に残る名作・傑作が次々と発表されていた時代。
今作もまた、歴史に燦然と輝く時代劇の傑作なのである。

ストーリーは、拝一刀が復讐の旅に出るまでのオリジンと、依頼を受けて、賞金首の集団に支配された温泉街にて、標的を討つまでの子連れ狼としての現在進行形の話が並行して語られる、というもの。

感想としては、圧巻の面白さ!!!時代劇、やばい!!!!である。

ただし、今作は、現代では自主規制対象であろう、バイオレンス、エロス描写を多々含む。
血飛沫が頻出し、これ要る?という性暴力描写もあり、やたらと女性の胸部が出てくるので、ダメな人はダメだろう。
このあたりは、売れるためにはエロがないとダメ、という男性観客のみを意識していた時代を感じる。
特にゴア描写においては、このシリーズは、スプラッター映画の元祖とも言われている(「悪魔のいけにえ」は、今作の2年後の1974年公開である)。
ぶっしゅぶっしゅと血が飛びまくり、身体部位が切断されまくるので、ある意味で新鮮である。

今作の見どころは、マーベル映画真っ青のヒーロー映画としてのストーリーの面白さ、若山富三郎の極まった殺陣アクションの凄まじさ、上述したバイオレンス描写のインパクト、これを中和してあまりある大五郎の可愛らしさ、54歳で夭逝した三隅研次監督の光と影の美しい演出の妙などなどにある。

ヒーローのオリジンストーリーとして、今作の構成はとてもわかりやすく面白い。
幼き藩主を無慈悲に介錯するオープニングから始まり、子連れ狼の現在を見せて、何があったかと観客を引き込む。
そして回想で、拝家皆殺しの惨劇と陰謀暴露の顛末を語るのだが、若山富三郎の最近の主演俳優では考えられない硬派にして豪傑然としたキャラクターが、物語の芯となっている。
その語り口の簡潔さと分かりやすさは見事だ。
所々に殺陣が用意されており、緊迫感が失われることもない。
黒幕・柳生烈堂のビジュアルなど、今見ると笑ってしまう部分もあるのはご愛嬌だ。

転じて現在の剣客としてのストーリーは、溜めに溜める。
拝一刀は賞金首どもの挑発にも応ずることなく、ひたすら時期を待つ。
観客は、温泉街の囚われの者たち同様にやきもきさせられるが、この溜めが、ラストの一対多数の一大バトルのカタルシスにつながっている。

主演の若山富三郎は、座頭市で有名な勝新太郎の実の兄である。
先日他界された日本初のアクションスター、千葉真一の殺陣についての師匠にあたる。
若山富三郎は、日本最高の殺陣の名手として知られる。
まさしく、今作における、刀や薙刀を振るってのアクションは凄まじい。
そのスピードと迫力、美しさは、私の乏しい時代劇鑑賞経験の中では、ぶっちぎりのトップである。

子連れ狼の面白さは、アクションの多彩さにもある。
大五郎が乗る手押し車には、さまざまなギミックが詰まっており、武器が仕込まれている。
他方で敵方も、刀、くない、鎖鎌、短筒などなど、様々な武器を駆使して襲いかかる。
このあたりのマンガ的な面白さは、近年のアメコミヒーロー映画にも通じるところがある。

アクションの端々に、流血やゴア描写が差し挟まれる。
ポンプで血飛沫を上げる演出は1962年に椿三十郎のラストで黒澤明が用いているが、今作の血飛沫の頻度は先行作の比ではない。
デッドプールも真っ青で、良くも悪くも刺激的である。

基本的に今作のストーリーはシリアス一辺倒だが、幼児である大五郎の動きや反応がいちいち可愛らしく、大いに癒される。
これは、一種の発明だろう。
有名な、鞠と刀を一才の大五郎に選ばせ、鞠を選んだら死んで亡母のもとへ、刀を選んだら生きて父と共に冥府魔道を歩むという、究極の選択を迫る凄まじいシーンがあるが、大五郎がはいはいして、「チャイ!」とか言って選ぶあたり、可愛いすぎる!!!!
その他、大五郎がお布団を見つけて、たたたっと走って、ばふっと飛び込むシーンがあるが、可愛すぎる!!!!以下略
これはマンダロリアンも、ベビーヨーダで模倣したくなるというものだ。

三隅研次監督は、座頭市シリーズ、眠狂四郎シリーズなどで知られる時代劇の名監督だが、映像がいちいち美しい。
陰影の使い方が凝っており、さりげないが、才気が伝わる。
ここまでマンガ的に極まった作品でも、ここまで美麗に撮られると圧倒させられる。
川中の決戦!
草原の一騎打ち!
吊り橋!
煙渦巻く情交シーン!
そして、ラストの一大血戦!!
ビューティフル!!

今作は、公儀に仕えるも、公儀に裏切られ、子供と2人孤独に生きるアウトローを描いたものであり、体制不信と、個人として自立して生きる姿勢についてテーマとしている、とも思える。
中でも、拝一刀の見せる冷徹なプロフェッショナルの姿勢は、体制下で個人が生きる際の、原作者小池一夫の考える理想的な身の処し方を語っているようにも思える。
アクション重視の今作では、このテーマがしっくりくる。
他方、今作の拝一刀は、子である大五郎を殊更に護るでもなく、淡々と連れ歩くのみである。
社会の中で大人が自立して生きる中で、子の存在がいかなる意味をもつか、については、次作以降、あるいは原作、テレビドラマ、リメイク版などで明らかになるのかもしれない。
いずれにせよ拝家の父子関係には、今作では必ずしも焦点が当たっていない。

時代劇ならではの価値観の極端さはギョッとするものである。
切腹、介錯、女性蔑視、子は親の所有物的発想などなど。
家父長制の極まった形態は、今となってはディストピアである。
そうした社会制度に対して批判的な視点で見るのも一興かもしれない。

エンタメ方面に振り切った、時代劇の歴史的シリーズの第一作。
シリーズはさらにアクション路線を極めると評判が高い。
特に評価が高い次作にも期待したい。