“炎上”というタイトルは、この物語の映画化に反対する金閣寺の住職たちに配慮した結果のようですが、曖昧で抽象的だし、そもそも結末を表現してしまっているので、タイトルがネタバレです。原作や金閣寺の歴史をわからないひとが観ることも想定すれば、どうにかならなかったものかと思います。
それにしても、恥ずかしながら市川雷蔵さんの出演する映画を初めて観ました。自分の世代にはネームバリューが先行してしまい、どんな凄みのある風貌かと思いましたが、意外と素朴な顔立ちで拍子抜けしてしまいました。
ただ、この溝口の役柄は、ひどい吃音に劣等感があり、周囲からもバカにされてばかりで、どうにも自己実現できない存在です。その葛藤などはうまく表現されていました。彼は全方位的にひたすら否定されて、その感情を爆発させることもできず、腹いせとか憂さばらしで放火したという印象です。驟閣寺からすれば、“とばっちり”でしかありません。
原作のことはわかりませんが、溝口の父親が強調していたように、驟閣寺は“美”の象徴だったはずです。それが炎上するということの意味からすると、あの犯行には溝口の美意識や嫉妬が反映されるべきですが、「誰も自分をわかってくれない」という被害意識ばかりが強調されていました。
物体であれ人物であれ、美しいものが破壊されたり破滅したりする過程や顛末は、いろんな媒体でさまざまな解釈で表現されていますが、この作品もその代表的なものだったと思います。世界的にも評価されているので、それを期待して観ましたが、自分の理解が追いつかなかったのかもしれません。
驟閣寺が炎上するクライマックスのシーンは、炎と建物のスケールがミスマッチで、ミニチュア感が否めません。当時の撮影の技術ではやむを得ないと思いますが、もう少しリアルな映像がほしかったです。