中川龍太郎監督は、どこか詩的でノスタルジックなセリフと映像が特徴的だと思っていましたが、これはその表現どおりの作品でした。そういう世界観が好きかどうかで賛否がはっきりするタイプです。
3年前に恋人である憲太郎を亡くした初海の“心の再生”を描く物語ですが、いろいろと謎めいた展開でした。おそらく自死であろう憲太郎の心情とか、彼女が教師を辞めた理由(憲太郎も教師だった?)とか…。終盤で初海が憲太郎の母親に秘密を告白しますが、それがさらに謎を深めてしまいます。
彼女の喪失感が想像していたようなものではなかったことになりますが、この微妙というか繊細な設定に思考が追いつかなくなりました。憲太郎の最後の手紙がどのタイミングで書かれたものなのか…、この文脈でのこの表現が意味することは…とか、おそらく真相は設定されつつも、かなり余白のある脚本です。
それでもモヤモヤしないのは、爽快で清々しいエンディングの伏線回収があったからでしょう。暗転する直前の彼女の笑顔がとても印象的で、ラストシーンだけで評価するなら傑作です。
中盤に登場する楓のエピソードは、DV男が妙にナヨナヨしていたり、ジェンダーバイアスにとらわれない意外な設定は悪くありません。彼女を演じた俳優さんの顔立ちも印象的でしたが、初海の境遇とのつながりを理解できませんでした。映画の「カサブランカ」を引用した理由も…。初海には憲太郎の他にも男性がいたということを示唆したのでしょうか。イングリッド・バーグマンは“恋多き女”としても有名です。「カサブランカ」に出演した当時の彼女は、初海と一緒で27歳でした。
映画やJazzは、なんとなくのレトロ感だったのかもしれませんが、初海の部屋にあった扇風機やラジカセ、そこになかったテレビやパソコン、恋人との文通やラジオを媒体とした展開とか…、昭和を舞台にしてもいいようなものばかりでした。こんなに古風で透明感のある女性が現存するのかどうかわかりませんが、彼女を演じた朝倉あきさんは、中川龍太郎監督の世界観にマッチする存在感がありました。
ちなみに、志熊という姓名の人物に出会ったことはありませんが、数学の公式に登場した“Σ”みたいで、人文系の自分には拒絶感しかないです。