平沢智萌xxxネタバレ気味注意

ジョニーは戦場へ行ったの平沢智萌xxxネタバレ気味注意のレビュー・感想・評価

ジョニーは戦場へ行った(1971年製作の映画)
3.5
「ジョニーは戦場へ行った」ってタイトルだけど
主人公はジョニーではなくジョーという・・・。
ソレの意図している所はジョニー=貴方自身という意味があるそうだ。

さて、俺はこれは「本当の意味での映画だ」と思った。
反戦映画として有名とされている作品だけど今まで見たことなくて
邦画「キャタピラー」を見たけど語りに落ちて駄作すぎて・・・

と、思いきやこの映画
実はジュー自身は「戦争がなければ」とか「戦争に行かなければ」とか
「戦争に対して自体の批難や否定的言葉」って言ってないんです。

見ているこっち側としては、戦争に行った所為で
両手足、目、鼻、口、顎・・・全てを失い
残ったのは生殖器と胴部と大脳のみ無事だったというだけ。

普通は戦争がなければ、とか恨み言言いそうに思うが
当の本人は、コレだけの空爆に合う原因となった事項をしなければなー・・・と
見ている分には「あーぁ、失敗しちゃったなぁ」っていう気楽さ。

最後には「自分を皆が見れるようにしてくれ」というが
その意図は「戦争の酷さを見せ付けたい」という意思ではなく
「両親や彼女を養うためにお金を稼がなければならない」
「こんな状態で一体どうすれば皆と一緒に居られるか」
そっちの前向きな意図で思いついた結果と俺は解釈した。
実際の現状がジョー自身では分からないから
そこに至っても大変さが自覚ないがゆえなのかもしれないけど
とにかく社会復帰のためにどうしたらいいかを考えた提案だった。

けれど最後に上層部にそれを伝えるも上層部が思い描いたことは
「反戦運動が起こり批判される」という未来だったんだろう。
自己保身を思う結果、ジョーのその意見は無かったことにされ
殺されることもされず、死ぬことも許されず
生きることの意味も剥奪され・・・ただそこにいるだけの肉塊。
「役に立つことが出来ないならいっそ殺してくれ」
これも俺には、反戦を訴えるための云々ではなくて
ジョー自身の存在理由や生を実感するために何かの役に立とうとする意思が
発した言葉のように思えた。
「こんな姿でも生きていることを伝えたい」という前向きなもの。
そこに「反戦意思」は俺にはあまり入ってないように感じた。
回想からは周りが皆反戦を唱えるが当人には耳に念仏・・・。

作中では外部の人間や女性自体は
「行かないで」「死なないで」「可哀想に」を繰り返すが
当の本人は一切そんなことを言わずに前向きであるという演出が
無言で反戦の意を強く訴えていて、凄く興味深かった。

邦画キャタピラーなどは語るに落ちた駄作だった。
「ほら、可哀想だろ?大変そうだろ?戦争よくないだろ?」
っていう共感や同情の押し付けが実に気持ち悪い作品だったが
ジョニーはどうだろう・・・周りの客観的人物は同情しているが
当の本人は「俺は可哀想ではない、大変ではない、戦争悪くない」
そういう主旨で動いているのが実にリアルで、逆に重い。

押し付けでもなんでもなく、語るでもなんでもないのに
映像だけで気持ちを伝えるという映画の根本として良作だったと思う。

銃を取ったジョニーはどうなったのか・・・・・・
一度は見るべき映画だと思うし、でも二度と見たくない映画だった。