平沢智萌xxxネタバレ気味注意

ミッドサマー ディレクターズカット版の平沢智萌xxxネタバレ気味注意のレビュー・感想・評価

2.5
当時から色々怖くて不気味らしい感想とすごく良いという前評判を聞いていたので、友達らと皆で鑑賞しました。

最近「星の子」という宗教団体に依存してしまった二世の物語を見たせいもあってか、規模や内容は違えど、このミッドサマーも近しいものを感じました。
一般の人には理解されない異常な儀式。
しかし当人達にとってはそれが通常であり、日常であるという事実。
とにかく異文化、異宗教への恐怖があるのかなと感じました。

主人公の彼氏の名前が”クリスチャン”というだけあって、この映画の示唆する所は異教がキリスト教に対する拒絶等も暗に含まれている気はする。
最終的にクリスチャンの末路を思えば、実際には中々な屈辱なのだろうなと思うけれど、残念ながら自分は無宗教な日本人であるため、そういう思考を持ち合わせてなく、9や13の意味とかに対しても当事者が思うよりも深い共感を出来なかったので、余計に恐怖への体感が半減しているのかもしれない。

ホラーというには映像美が素晴らしく、明るくて華やかな中で起こる大っぴらな儀式に違和感を覚える人もいるのかな?と思いましたが、自分は逆に「だからこそここの住人にとっては真っ白で穢れのないもの」なのだなと感じた。しかし残念なことに、BGMが「ほぉ~ら、不穏なことが起こるぞ~!」って気配満々に出していたので、逆にこの作品はBGM無くていいんじゃないだろうか?ただでも普通の儀式の際中に歌などがあるので、現地に到着して以降はBGMで雰囲気を伝えすぎていた感がある。

自己犠牲により自死を選択した者も居たが、輪廻の概念も然り、一応それら全ての儀式に関して贄を捧げる理由が明白であり「そういう理由なら理解は出来る(グロいけどw」という納得も出来る。
(※受け入れられるという意味ではなくて、そういった計算式として理解出来るという意味)

ホラーという名目ではあるし、実際にはグロいのは事実だが、実際に何が行われるか、この後どうなるか?という展開の全ては、必ず伏線として誰かが話をしているし、壁画にも事細かに書かれてあり明白に暗示されているので「あれ?これってもしかして…」と推測可能。
もちろんその際のグロはあれど、何が行われるか、どうなるのか、ということが分かれば心構えは出来るので、言うほど怖いと思うことはなかった。

DC版の前半までは殆ど「いつ何が始まるんだろう…」とドキドキして身構えてましたが、本当にお祭りが始まるのは後半でした。
怖いこととかは、隠せてない伏線のおかげで予測がついたからほぼなかったけど、普通に登場人物達の会話ややり取りに苛立ちを覚えたりして疲労度はぱねぇす。

鑑賞後に、とりあえずこれだけ映像にこだわっているのだから映像に映る何かしらには必ず意味があるんだろう、と思っているのだけど 所々、自分の知識や理解が足りなくてかなり自分勝手な解釈で補填して見た処もあったので考察サイトを読みながら自分なりに考察したりしました。
――が、数点だけ「だからそうなのか」「アレはあぁだったのか」と部分はあれど、やっぱり考察するほどではない内容で、知識として俺の中で足りてないことが説明されてなくて謎のままです。

そして「9日間終わったと思っていたら日程的にまだあと3日残っているはずだ」という、考察全てが一致している話。
そこで思うのはメイクイーンとなった主人公の末路かなと…。
どこで書いてあったか分からないけれど儀式が90年に一度であるとなると、72歳で儀式で飛び降りを必須とされるのであれば、前の儀式を知る者は一切ゼロの状態で次の儀式が行われることになる。
いくら伝承されていてもさすがに90年に一度は違うだろうし、90年に一度、外部の血を取り入れた所で近親相姦の濃度は濃くなる一方だと思う。
ゆえに経験者が居る72年よりもっと早いスパンで行われていると思う。
となれば、前回のメイクイーンが存在していてもおかしくないのにメイクイーンは全て写真に留められている。
根本的にこの作品はちゃんと映画の法則をしっかり理解した上で分かりやいように丁寧に描かれているので、映画の法則に従って主人公のED後を考察してみるに…

・冒頭で炎を渡された老人二人と同じように主人公にも炎が渡される
・儀式の主導権を握る人が食卓の総括を担い、食事後に贄とされる
・熊の着ぐるみの中に仕舞われたクリスチャンは、顔だけ見せた状態で贄にされた→最後の贄選抜の際に主人公も花に囲まれて顔だけ見せている状態
・外部の人間は主人公を除き全員贄として死んでいる→主人公も外部の人間である
・冒頭のヘルシングランドと書かれた垂れ幕に掛かれている内容は「ヘルシング地方への大量移民禁止」とあり、つまり異国人を排除する意思があることがわかる→外部の人間の移住は認めない→贄

他の人のレビューや感想で「ボルガ住民と共感覚を得られたから住人として認められた/一員となった」みたいなことを書いている人がいるが、映画の中には一度も「共感を得られたから住民になった話」も「外部の人が住民になった話」もない
説明されているのは「外部の血を取り込む」だけ

多分ほかにもあると思うが、以上の観点から、映画の法則に従って主人公のこの後を読み解くならば必然待ち受けているのは贄としての死だろうなと自分は推測する。
ただし”贄”とはあってもみんなと同じ贄であるなら、その人達の証や写真が残っていないと、メイクイーンのみ写真が残っている理由がつかない。
なぜ歴代メイクイーンだけ写真が残っているのか。と考えるに、壁画にもチラと見た「神」へと昇華するからではないかと…
テントのような焼却場は描かれたルーン文字からして槍を意味するらしく、グングニルと仮定されると考察している人がいたため、メイクイーンの最後の役割が「9日間首を括りオーディンの槍で貫き苦痛に耐えた後、自らの体を贄にして叡智の神となった。を当てはめるられる。
自分は未確認だが、作品内の壁画にもオーディンのその時の絵が描かれてあるとのこと。
結果的に自らを贄にして叡智の神となるからこそ写真が残される。とか?

あ!!
あと、怒涛の後半20分くらいかな?
ツッコミどころが満載でつい突っ込まずにはいられずに笑っちゃいました。