夕暮れなのか、西陽が差し込む居間にいる老夫婦。干された柿。
どこかこの世ではない幻想的な空間に見えた。
これらのショット1つ1つの連なりを観ていると、ドキュメンタリーという手法であったとしても、その場所にカメラがあり、そこで行われている事がカメラのフレームの範囲内で切り取られているという事は変わらないのだと思わされる。
そして、別々の時間や空間で切り取ったそれらのショット繋ぎ合わせて、映画という切り取り編集された1つの世界を作っていく。
カメラに気づいて、もしくは演出としてやっていた事が終わった時の落差も印象的。
一方で、カメラなんて関係ないかのように、夫婦で生き生きと軽口をたたきあう様子。
船大工が船作りに向き合うあの表情。
何か凄いものをみたようでグッと心が動かされる。
そのフィクション性とその時間その場で起こっていた事がそのまま残っているという落差。さらに当時でさえ失われつつある、今となっては失われてしまった儚い風景。
それらが混じり合い、マジックリアリズムのような雰囲気を漂わす。
カメラでの映像はあくまでフレームを限定した切り取りに過ぎないという事。
ただそのフレーム内で起きている事はカメラとの関係の中でありのまま記録され、普段は見逃され失われていくその一瞬の儚い時間が残されるという事。
こうして何にグッときたのか難しく考えずとも、とにかく心が動かれた感覚が後を引き、鑑賞後リアルな世界においても引きずるその感じがとても心地よかった。