阿賀に生きるの作品情報・感想・評価

阿賀に生きる1992年製作の映画)

上映日:2012年11月24日

製作国:

上映時間:115分

4.1

監督

「阿賀に生きる」に投稿された感想・評価

このレビューはネタバレを含みます

 阿賀野川流域に暮らす彼らは撮影を意識しているが常に自然体で、カメラが彼らの生活を切り取るというよりも、彼らが積極的にカメラに教えているという印象があった。被写体が受け身でなく、能動的に作品製作に関わっているように感じられた。ラストショットで「オッケーです」とスタッフが発するのと同時に「ありがとうございました」と感謝の意で応えているのが、製作に意義を感じていた証のようだった。

 そのため、(被写体が積極的にカメラマンに話しかけ、カメラマンの声が作品に記録される)被写体と撮影者のカメラ越しの会話が彼らの境目をぼかし、フレームの外にいる撮影者の表情までもが気になる対象へと変化した。つまり、フレームが消えかかり、映画ではなく実際に自分の目でその光景を見ているかのような、不思議な感覚を覚えた。

 「ドキュメンタリー映画は撮影者が被写体を誘導し、描きたい姿を描く事もある」この事実を念頭においていた為、上記で述べた会話から生み出されるシーンも一種の誘導に当てはまってしまうのではないかと初めは思案した。しかしながら、個人的に会話から生み出された独特のシーンは阿賀に暮らす人々の率直な姿を引き出し、3年の月日が生んだ相互信頼の表れのようでもあった。おそらくこの後にテレビ局が取材にやって来ても同じものは撮れないと推測する。
 
 事実、患者たちが地方裁判所を訪れたシーンでは、裁判所の入り口で待ち構えていた報道陣を本作のカメラが捉えていたが、患者たちの背後から変わらず撮影し続けるスタッフとは異なる、少し冷たい印象を受けた。背後から被写体を捉えたまま、共にカメラマンのいる前方へ向かうことで、映画スタッフと被写体が一体となり、まるでチームのようだった。

 現実や現状は決して一つではなく、これら様々・複数が並行し存在しているのが実際。そのどれか一つの世界に偏るのではなく、彼らと暮らしていく中で垣間見えるものが何よりも真実に近いのではないかと感じた。
めちゃめちゃ美しいドキュメンタリーだが、『SELF AND OTHERS』ほどの完成度はまだないか。ヴァルダ的ドキュメンタリー。というかこれは好みの問題だな。ゲリン的な芸術的なドキュメンタリー求む!いやごめん!これも好きだわ!
ドキュメンタリーの限界的な価値観があったけどそれを全部ひっくり返された。すげー。
Dantalian

Dantalianの感想・評価

4.6
新潟弁が分からなすぎて結局ほぼナレーションしか聞き取れていないが、おばあちゃんがお爺ちゃんに「箸を鍋に突っ込んじゃダメ、バーカ」とお説教する場面が愛おしいだけに、その直後に映った曲がっていて震える指が一層強烈に見えた。

二人の口喧嘩の内容は何もわからなかったけどとにかく愛し合ってるなーというのは伝わった…おばあちゃん可愛い…
しかしその家族と日常生活に対する愛と情熱には、もちろん病気と障害が常に伴っている。それらが、すでに彼らの日常の一部になっているわけだ。
→じゃんそれを平気で受け入れるの?

車の中、何事もないように「自分の指も曲がってきたな」と独り言している女性。演技では表現できない衝撃。
彼らには、知識人たちが訴える国家と資本の暴力とはどういうことなのか、が知らないかもしれない。しかし彼らの生そのものは、あらゆる言葉よりも強い力を持っている。

村人たちの昭和電工に対する複雑な気持ちは、あらゆる支配者と被支配者の間に見られる精神構造でもある。ナチスがドイツであれほど障害なく民衆にすんなりと受け入れられたのと同じく、権力は強いからこそ、それ自体に正当性があるように人々は思ってしまう。だから被害者になっても声を上げるのをやめ、正当で輝かしい権力を損なわないように息を潜める。

女と母性愛の話が気になったけど何も聞き取れなかった…魚の話だったの??
川船職人の遠藤さんの曲がった腰

船造り、漁業→川沿いで生きる人々の生活そのもの→汚染が壊したのは人々の健康だけではない。生き方、今までの存在価値、存在した証も。

心臓麻痺による急死、老いが原因かもしれない聴覚衰退。本当は何が原因なのかがわからない。
明日には忘れてしまうような些細な瞬間が静かに続いていて、そんな中に時折水俣病の影が現れる。
二人してちがう方向を見ながら寄り添いあって座る夫婦、寝ているおばあちゃんの顔の横にアンパン、餅を持って走る、喧嘩してるんだかこれがいつもの調子なんだか分からない夫婦(とペヤング)、自分が先に鮭を釣ってしまってカメラに謝る、途中でカメラに撮られていたことに気づいて笑う、畑を耕しながらカメラに危ないよと声をかける、ズボンのチャックが全開。感覚障害で火傷にきづかない、指、など。
まめら

まめらの感想・評価

3.8
 クルーが数年間現地に住みこんで、現地の方たちと人間関係を作りながら撮影した、新潟水俣病が題材のドキュメンタリー。描かれるのは阿賀野川流域で暮らす人々のなにげない日々の暮らしであり、まさに闘争の歴史というような作品だった。もちろん登場する方たちの多くは新潟水俣病の患者であり、裁判についても触れられている。
 しかし観ていて印象的だったのは、水を基盤とした阿賀野川流域での営みだった。水田で米を作る、米を原材料とした餅をつく、川で鮭を釣る、船頭として風を読む、船大工として慕われる、雪の中測量を行う……。彼らは水とともに生きているのだと強く感じた。生活の中心に阿賀野川があったのだ、この映画のタイトルそのままに。だからこそ、その阿賀野川が汚され、彼らの肉体が蝕んでいるという事実を意識せずにはいられない。住民たちの会話の中で不意に現れる病気の存在――遠藤武さんの感覚障害、加藤タミさんの手――にはっとさせられた。
 またかつて鮭を行っていた長谷川芳男さんの「夢」にまつわる演出が、映画全体を通して強く印象に残った。長谷川さんはかつて鮭釣りの名人だった。しかしクルーが撮影のために訪れたときには、もう鮭釣りをやめて久しかった。酒に酔った長谷川さんは、いかに自分が鉤を用いて鮭を釣っていたのかという思い出を語り、もう一度鮭釣りをしたいという「夢」を見る。その「夢」は直後の、朝靄のような幻想的な空と川の青のなかで、釣りを行う長谷川さんのインサートで表現される。そして長谷川さんの「夢」が叶い、再び鮭釣りを行うという展開に導かれていく。
鮭を釣り上げたところ、船が初めて出ていくところ、爺ちゃん婆ちゃんのやり取り、どれも印象に残るシーンばかり。3年間密着していたとなると膨大なフィルムがあり、そこから厳選したものなのかな。
製作にあたり全国1400人がカンパしたとあった。今で言うクラウドファンディングだ。佐藤真がリーフレットで映画はプロデューサーで決まる、資金の集め方で映画が変わると言っていて、なるほどと思った。

病の悲惨さを語ると言うわけではなく、あくまで日常の中に垣間見えるのを捉えているだけだからこそ、この映画は価値があると思います。

企業城下町と公害による健康被害、、、

日本の原発問題同様、当然一筋縄では行かない事情が絡みまくっているわけだが、
しかして政治的文脈、所謂公害病の被害者像を超え、本作で映し出される人々の営みは愛おしく尊い(爺ちゃん婆ちゃん超キュート)

阿賀野川や五頭山に囲まれて育った身としては、忘れていた方言や雪景色に心を焦がすっス
ヒチ

ヒチの感想・評価

3.3
あんぱんを枕元に置いて横になってるおばあちゃん可愛い。その後もおじいちゃんが鍋つついてる隣でペヤング食べたりしててグッとくる。あと風景のショットが抜群に良い。
sonozy

sonozyの感想・評価

3.5
佐藤真監督の長編ドキュメンタリー・デビュー作。

昭和電工の廃液垂れ流しによる水銀公害、第二水俣病/新潟水俣病の地、新潟県・阿賀野川の流域に暮らす人々を捉えたドキュメンタリー。

主役となるのは3組の70代〜80代の老夫婦。
かつては鮭漁の名人で現在でも田んぼを守り続ける長谷川さん夫妻。
かつて200隻以上の川舟を造ってきた舟大工・遠藤さん夫妻。
餅つき職人で年の瀬になると地元からの注文で大忙しの加藤さん夫妻。

いずれも、新潟水俣病の未認定患者で、政府と昭和電工と闘い続けてきた方々で、手や足に障害を抱えているものの、不思議とみなさん明るく、生き生きと暮らしてらっしゃる。
大きな問題を抱えていても、その地で生き続けていかなければならない人々ならではの力強さが伝わってくる作品でした。

佐藤真監督ら7人のスタッフが3年にわたって現地で暮らし、彼らの仕事を手伝い、共同生活をしながら撮り上げたというだけで凄いなと。

長谷川さんは鮭漁を、遠藤さんは弟子と共に船大工を、何十年かぶりに復活したシーンが沁みました。

ラストに「製作委員会の呼びかけで全国1400人のカンパによって製作されました。」と出てきます。クラウドファンディングもない当時に1400人の支援を獲得したのも素晴らしいですね。

ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭(スイス)銀賞、国際批評家連盟賞、新鋭批評家賞、エキュメニック賞
サンダンス・フィルム・フェスティバル in Tokyo: コンペティション部門グランプリ
山形国際ドキュメンタリー映画祭: 優秀賞
ほか
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