寺山修司らしさが節々に伺えた。「ホーム」すなわち故郷というテーマはまさにそうだし、「観念的叙情」とでもいうべきセリフ、カットが昭和らしい(というのは事後的な物言いだが)映像世界に綺麗に溶け込んでいた。彼のエッセイを"正統な"視覚表現に落とし込むとこうなる、という納得感がある。
本筋とは関係ないが、援交の相手がしきりに「本当に女子高生であること」を確認するシーンで、性の観念的消費というものを考えてしまう。本当に女子高生であることが価値を生み出す原理は、単純に言えばフェティシズムの話だが、マルクスやフロイト、フーコーの説明では片付けられない何かを感じている。