ひれんじゃく

「A」のひれんじゃくのレビュー・感想・評価

「A」(1998年製作の映画)
4.0
非常に興味深かった。オウム内部にカメラを入れて、関係者に張り付いて撮るとこんな感じになるのか。たしかにいささか信者寄りの立場を表明しているようにも見えるけど、オウムが可哀想ということではなく信者の人たちが可哀想という感想を抱いた。数々の事件を主導したり実行した信者は言語道断で裁かれなければならないし、教祖たる麻原彰晃は大罪を犯したという認識に変わりはないけど、彼ら以外の人たちをどう見るべきなんだろうと考えてしまう。

教団が事件を起こし、首謀者らが逮捕されて裁判が始まってもなおその行為を認め(られ)ず、社会からの非難の目も「修行に必要な要素」とみなして麻原を拝む信者たち。側から見ると異常と言いたくなるが、何らかの理由で教団の教義に惹かれてそこに居場所を見出してしまい、あの事件のせいで唯一の居場所を奪われかけている人たちがなんとか自分を納得させようと足掻いていたのかもしれないな、と私的には感じた。社会から厳しい目を向けられるようになったのも教団という一括りで見れば自業自得だし、人の命を奪っておいて反省の色や謝罪の一つもないというのはおかしい。自分が所属していた集団の一握りの人間が殺人事件を犯したと知ればつらくてどうしようもなくなる気もするんだけど。そうはならないんだなあ。そんなことありえない、というのを頑なに固辞し、神から与えられた試練かのように修行の一部に組み込む様を見ていると洗脳の恐ろしさを垣間見たような気になる。
しかしそれを構成する人間ひとりひとりを見ると、実行犯や首謀者を除き何もしてない人たちが大半であり、教祖が教義を破りまくって好き放題してたことも犯罪に加担してたことも知らずに言われるがまま社会から隔絶された環境で過ごし、その教えに共感していたわけであり。社会の何かに不信感を抱いていたり、納得できていなかった人たちはその教えに共感を覚えたのだろう。出家して修行に打ち込むことで得られる何かがあると信じて入信したのだろう。その結果がこれで、罵倒の声を浴びることとなって混乱するのはよくわかる気がする。自分が心の底から信じていたもの/存在が突然土台からガラガラと崩れたら、急には信じられない気がする。施設が解体されていく様を眺めている信者の様子が印象深い。信仰が揺らがされていることに加え自分たちの居場所すら排除されようとしていて、戸惑っているように見えてしまって。あのあと帰る場所が見つかったのか、社会は迎え入れられたのか気になる。

警察のしょっぴき方が横暴で笑ってしまったしドラマで見たようなこと本当にやってたんだなあと驚く。

今は他人事と思って眺めてられるけど、いつカルトにハマってしまうかは正直わからないし、私もふとした時に共鳴してしまったらここで撮られる側の人間になっているのかもしれない。映像を見ていると特に前半部分で信者たちがなにも麻原のことを疑っていないことに恐怖を覚えるとともに、洗脳の恐ろしさやその手法の巧みさ、カルトというものの在り方にも興味が湧いた作品だった。一度ハマるとどんな出来事でもその教義に何もかも当てはめて解釈してしまうようになるのだろうな。そしてそのような世界の見方はある種社会の中で生きている、私を含めたあらゆる人たちにも該当するような気もする。その「教義」が人に害を及ぼす、もしくは及ぼす可能性を孕むか否かという境界線で辛うじて分たれているにすぎないような、そんな心持ちになる。
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