映画漬廃人伊波興一

トラベラーの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

トラベラー(1974年製作の映画)
4.6
この質朴で温もりある表層の背後には凄然とした冷ややかな視線が射し込まれている

アッバス・キアロスタミ
「トラベラー」

親の隠した金をくすねる。
盗品を売りさばくため奔走する。
写りもしないカメラで写真を撮ってやると騙してシャッターを押すたびに相手から小銭を巻き上げる。
挙句の果ては所属するサッカーチームの最も大事な共有備品さえをも敵の手に流して金に変えてしまう。

まるで無軌道な若者を主人公にしたフランスヌーヴェルヴァーグのような光景ですが、これはイランの貧困家庭に育つ10代の少年の話です。

アッバス・キアロスタミの長編第一作「トラベラー」を観る機会を最近やっと得ました。

彼は何故、こんな悪事を、躊躇も罪悪感も無く本能に従うだけの獣のように繰り返せるのか?

一応はテヘランで開催されるサッカーの試合観戦の資金稼ぎの手段として描かれていますが、それだけでは納得しがたい泰然自若ぶりが、この素人少年俳優ハッサン・ダラビに漲(みなぎ)っているのです。

やはり根幹には「勝手にしやがれ」のジャン=ポール・ベルモンドのように、彼がそんな(才能)を備えていたからとしか思えない。

言い換えれば(才能)がそんな悪事を止めさせてくれないのです。

彼が年端も行かぬ少年でなく、20代の青年なら車のひとつくらい平気でかっぱらうだろうし、美女を見れば血潮のうずきを抑えきれず、隙あらば武器や拳銃、クスリにも手を出し、邪魔する手立てには鉄拳も発砲も辞さない事でしょう。

それら全てが(才能)に根ざした振る舞いだから、そこに既成の道徳感や罪悪感が介入する余地などありません。

うっかり持ち帰ってしまった隣の席の子のノートを届けるべく夕暮れから夜にかけてコケールの町を奔走する「友だちのうちはどこ?」の少年モハマッドや、自殺する自分を見届けてくれる相手をひたすら探す「桜桃の味」の正体不明の男バディらのひたむきな(迂回)と同様、その振る舞いには一点の瑕疵もありません。

ですがキアロスタミは彼らのそんな才能が、安直に結実する事を頑に拒みます。

むしろ彼らは他ならぬ才能そのものに裏切られて、行き着く先に、いつ終わるとも知れない果てなき道を見せつけられるのです。

一見質朴で温かな画面の表層の背後に何と凄然たるキアロスタミの視線が射し込まれている事か。

1974年。湾岸戦争どころかイラン-イラク戦争さえまだ勃発していない時代に、こんな作品が存在していた事自体が驚異的です。