Toritamaster

告白のToritamasterのレビュー・感想・評価

告白(2010年製作の映画)
4.0
湊かなえの小説が原作。
邦画はあまり見ませんが、ネトフリからやたらおすすめされるので鑑賞。
結論、絶対に見てよかった映画でした。

※長いレビューに見えますが、レビューは前半だけで、後半は内容とは関係のないコラム的な話です。興味のある人だけ読んでみてください。

僕は洋画好きなので、邦画を見るときはあらかじめ評価と簡単なあらすじを読み、見ても十分な満足感が得られそうだと判断したら見始めます。
意外とこういう人多いのではないでしょうか?そんな人にも是非一度見てもらいたい映画だと思ったので、これから書く簡単なあらすじをまず読んでみてください。

映画は、ある中学校の教師による告白から始まります。
「娘は、このクラスの生徒に殺されたんです」

鑑賞欲激増しません?
僕もこの文を読んで見ることを即決しました。
気になった人は是非鑑賞してみてください。

◯感想
この映画は話に関わる人が順番に自分のことや考えを告白する形式で進んでいきます。
僕はこの進行の仕方が映画の良さを引き立てていると感じました。
というのも、この映画の登場人物は、全員正しい人間でないからです。
全員の考え、全員の立場を公平に覗くことができ、結果全員正しくないことを認識できます。(と言いながら僕は教師を応援していました)
ここでいう”正しくない”とは、複数の意味を含んでいます。
人として、事実の捉え方、行動に伴う責任、本当の気持ちに対する行動、などなど。

ただ、松たか子演じる教師だけは、正しくない事を理解しながら復讐していると感じました。そもそも復讐とはそういうものかもしれませんが。
他は全員自己中で、自分が正しくないことに気づいてはいません。

現代の、どこかおかしいと感じる社会へのアンチテーゼのようなものを感じました。

そして松たか子さんの演技、凄かったです。頭ひとつ抜けてました。



※以下はこの映画とは関係のない邦画に対する気付きの話です。興味ある人だけ読んでください。
◯邦画を苦手に感じる理由
僕は邦画はあまり観ません。演技に違和感を感じることが多いからです。
予算や演技の上手い世界的スターが多く出ている海外映画をよく見るからでしょうか?もちろんそれもあると思います。
しかし最近こんな理由があるのではないかと思いました。
それは、僕たちが”日本語によるコミュニケーションの専門家”だからです。
最近こういう記事を読みました。なぜいくら技術が上がっても、人はCGの顔を見分けられるのか、というものです。ここでは、人は生まれた時から本物の顔を観察している人間の顔の専門家だからだ、と述べられていました。
これと同じことが映画にも言えるのではないでしょうか?僕たちは日本語による演技のちょっとした違和感にとても敏感なのです。
逆に洋画では、僕たちの専門ではない言語やコミュニケーションが使用されるので、違和感に気づきにくいという訳です。
このような理由から、映画が好きな人ほど洋画が好きになり、邦画を敬遠しがちな傾向があるのではないでしょうか。


長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
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