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『舞台の姉妹』に投稿された感想・評価

4.1
シェ・チン監督作品!

中国映画の展開〜三十年代から第五世代まで〜⑤

シェ監督の代表作といえば『芙蓉鎮』
まだ観れてないけど初期の監督作品も文化大革命前夜に作られた極めて重要な作品だと思う。

こないだ観た『祝福』も後半の展開で重要なシーンに使われていたし日中戦争・国共内戦当時の市井の人々の暮らしを主人公の旅芸人一座(越劇女優)のヒロイン2人
春花と月紅、義姉妹の看板コンビの友情を激動の時代に翻弄されながら生き方を模索し悩み、そして新しい時代を歩んでいく希望溢れる物語でした。

65年当時の風景も素晴らしいし前半のメロドラマから後半の革命と政治メッセージへの展開には驚いたが監督の熱量は充分に伝わった(^^)
勉強になりました。

良か映画!
シェ・チン監督作品。
浙江省で婚家から逃げてきた春花は、巡業中の劇団に身を寄せて、月紅と義姉妹になり、劇でも人気となるが・・・という話。

最初は姉妹の芸の苦難の人生かと思いきや、後半は共産党ゴリゴリのプロパガンダ劇になる。資本主義、中国国民党、アメリカが悪の総本山みたいな扱われ方をして、台湾が悪の巣窟視たいに扱われて笑った。

前半がけっこういい。映画冒頭のクレーンショットで、劇をしているところまで降りてくるショットや、一座が舟で旅をするショット、船着き場で観客が集まって越劇を観ているショット等良いショットが多かった。雪がさらさらしている。
サイレントシネマみたいな画のショットがちょこちょこあった。

中国の映画は、権力者の下の者に権力を振りかざす度合いが強いように感じた。プロパガンダ的要素がそうさせているのかもしれないけど。
1935年、浙江省の農村、越劇を演じる古びた舞台小屋から物語は始まる。
童養媳(人身売買婚)から逃げてきた少女、春花(チュンファ)は芝居を演じていた旅芸人の楽屋へ隠れる。春花を憐れに思った座長の邢師傅(シン師父)は養女として彼女を引き取り、実の娘、月紅(ユエホン)と同様に可愛がり、稽古を付け、やがて二人は「舞台の姉妹」として劇団の花形となっていった。
紹興で公演を行った際、土地の富豪に目を付けられた妹・月紅は同衾を迫られ、これを断った為に警察に逮捕されそうになる。連行されかけた月紅を守ろうと、警官を殴った春花は、公開刑として三日間柱に縛られ晒し者になる。
また、この件で警官から暴行を受けた邢師傅は日に日に弱り、二人の娘に誠実に生きるよう言い残し、空しくも旅半ばにして客死する。後ろ盾を失い、父の葬儀も挙げられない二人は興行主の阿鑫(アシン)に身売りをする。阿鑫は劇団を解散させると、二人を上海に連れていき、大劇場の唐経理(タン支配人)に姉妹を預ける。
実力のある二人はたちまち上海で知らぬ者のない、大物俳優として頭角を現してきた。春花は養父の遺訓に従い、誠実を旨としていたが、人気と大金を俄かに得た月紅は次第に高慢になっていき…

本作から2年前に公開された、謝晋監督作である「紅色娘子軍」の露骨なまでのプロパガンダ臭、空疎で書割りじみた世界観と比べると、前半は割にそうした要素が希薄で、越劇の故地とされる紹興、嵊州へ赴き、現地の生活を綿密に調査したというだけあって、越劇風の悲歌に乗せて映し出されるロングショットの水郷古鎮や、古色蒼然とした舞台で色彩豊かに演じられる華やかな芝居が目に楽しい。
ただし、階級社会や旧弊によって苦しめられる人々の姿も同時に描いており、共産党への目配せも忘れていない。

越劇という名前は知っていたが、恥ずかしながらどういう物かは全然知らなかった。京劇はかつて女形が存在する、男性が中心になって演じる芝居であったのに対して(現在では女性役は基本的に女性が演じている)、越劇は基本的に男女共に女性が演じており(男優もいるが、少ない)、中国版宝塚とも称されているようだ。現代では今風のメイクに現代人にあった改作を加えて若いファンを獲得しているらしい。

また、謝監督自身が浙江省出身で、幼少の頃から旅芸人の越劇を観ていたようだ。研究者が指摘する通り、謝晋としてみれば共産主義政権下でリアリズムを維持した劇映画を撮る事は不可能であるという限定的な制約のもと、共産党による政治宣伝的要素の濃い作品ではあるが、自身の郷愁を作品に昇華させる試みが感じられたのは嬉しい。

劇中の芝居は前半では古典的な「梁山伯と祝英台」、主人公が社会意識に目覚めてから魯迅原作の「祝福」、そして中華人民共和国成立後は革命歌劇「白毛女」をそれぞれ演じており、こうした所にも中国社会の劇的な変化が描写されているのが興味深い。
紹興の辺で興った芸能というから、してみると紹興出身の魯迅先生も越劇を観ているやもしれず、代表作「祝福」が劇中に出てきたのは、一つには魯迅という作家を毛沢東が賞賛し、その権威を中国共産党の正当性宣伝の為に利用していたという背景も勿論あるのだろうが、あながち牽強付会とも言い難い連綿とした縁故か。

苦難の時代を乗り越えた越劇は、階級社会を打破した共産中国下で前途洋々たる未来が待ち受けている事を予期させて映画は終わる。もっとも本作公開の2年後、中国全土は文化大革命という狂乱の渦に飲まれ、越劇も越劇役者もこの映画の出演者やスタッフも激しい攻撃と迫害に遭ってしまうのだが。

ただ、至る所に監督が本来描きたかったであろうメロドラマや、「紅色娘子軍」のような官製フェミニズムではない、社会と男性からの抑圧を受けた女たちが生きるべき道を模索する真摯な文学的要素は依然残されており、単なるプロパガンダと一蹴してしまうには余りに惜しい一作である。