Eyesworth

道のEyesworthのレビュー・感想・評価

(1954年製作の映画)
4.9
【人は人吾は吾なりとにかくに吾が行く道を吾は行くなり】 哲学者・西田幾多郎の言葉

イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの手による1954年に製作された珠玉の代表作。悲痛な運命に弄ばれながらも純真な心を失わないヒロインの姿が、今も鮮烈な輝きを放ち、我々の心を打つ。

〈あらすじ〉
怪力自慢の大道芸人ザンパノが、白痴の女ジェルソミーナを奴隷として買った。男の粗暴な振る舞いにも逆らわず、彼女は一緒に旅回りを続ける。やがて、彼女を捨てたザンパノは、ある町で彼女の口ずさんでいた歌を耳にする......。

〈所感〉
古典中の古典なので器の古さこそ感じるが、中身が年代物のワインのように味わい深い新鮮さがあった。順番的に逆なのだろうが、先に『8½』を見ていたためか、こちらは叙情的で複雑ではない展開なので、比較的わかりやすく感情移入しやすい作品だった。家族の口減らしのために半ば強制的に身売りされた知的障害者の女子ジェルソミーナ。彼女は年齢が高めに見える時もあるが若く見える時もあるという、不思議な容貌をしている。このジェルソミーナを演じたのはフェリーニの実の奥さんで女優でもあるジュリエッタ・マシーナ。美人ではないが、とても魅力的で愛嬌のあるキャラクターだということが見ていてすぐわかる。彼女は誰がどう見ても貧しく不遇であり、風前の灯のよう現状に対して、明るく懸命に振る舞っているのが涙ぐましい。朗らかな彼女の周りはいつも笑顔の輪が広がっている。それはたとえ貧しく不器用で正攻法とは言えない人生の道のりでも正しい道を歩んでいるように思える。まるで純粋な天使が羽を失い地上で奮闘しているようだ。一方でこのジェルソミーナのパートナーであるザンパノという力しか取り柄が無い荒くれ男は文字通り救いようが無い人間の代表として描かれている。古い付き合いの同業者イル・マットとの関係において何度も正しい道へと引き返せるチャンスをみすみす逃して、誤った道へと後退していく様が対称的だ。そして唯一近い距離で接してくれたジェルソミーナという天使すらも突き放してしまう。この時初めてザンパノはパートナーを失った悲しみに気づき、虚無と絶望に打ちひしがれる。いなくなって初めて気づく孤独と有ることの難しさ。即ち有り難さ。それは『東京物語』のラストの周吉がとみが亡くなって、庭をボーッと眺めるシーンを彷彿とさせる。ありふれたテーマかもしれないが、人が道を踏み外す時には大抵既にその前段階で誤っているものだ。愚か者はその誤りに気付くはずもない。怪力だけで食ってきたザンパノにはもはやその辺の残飯を食い荒らす余力もないだろう。まだこの作品を十全に理解するには若すぎるので、年齢を重ねるごとにまた見返したいと思える作品。
正しい道も間違った道も掛け替えの無いあなただけの道。後悔のないように好きに生きるべし。ただし、己のみを優先した結果、愛すべき他者を蔑ろにし、大切なものを見失ってはいけない。
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