このレビューはネタバレを含みます
かつてティム•バートンの作品『ビッグ•フィッシュ』の中で、想像力が様々なものを生み出す…そんなレビューを書きました。
あの作品自体は前向きな物語でしたね。
その中で、傾いた廃墟の描写がありました。
患う人たちの話を聞いていく中で、そんな事が想起されたんですよね。彼女たちには現実として廃墟に囚われたような気持ちなんだろうな…と。実際に『うつ病』で苦しんだ事のない私には、そんな理解でしかアプローチができないんですが(*´-`)
でも、自分のどこかが壊れたからと言って、何も終わってくれはしない。だから、破綻を引きずりながらでも歩き続けなきゃいけない。死にたいって考えに支配されても…やっぱり簡単に死ねるわけじゃない。そういうのも全部、引きずって、歩いていく。
それはスクリーンの向こう側の事じゃなく、目の前の自分自身の生活で、家族もいて、社会があって…どうしたって負い目を感じるような環境になってるから、ただ生きることさえ苦しかったりしてしまう。
そういう人たちを支える仕事。
何ひとつ、簡単ではないのが伺えた。
だからって投げ出さない。根気強く向き合うことでしか、快方には向かえないから。
廃墟を片付けて、ちゃんと住める家に建て直していく…お医者さんがじゃなくて、彼ら自身がそれを直す、その手伝いをするって仕事。
大概の人は、諦めて、厭う、切り離す。
透明なカーテンの向こう側に。
逆にその追放体質の方が、我々の理想からすれば『異常』だとも思えてくるんですが…
健常者ってなんだろね?
みんなと同じにできること?
迷惑を掛けないこと?
何処かを病んでいないことかな?
実際は、そんなに変わらない気がする。
器用なのか不器用なのか…
それぐらいの違いなんだと思う。
健常者でも片付けられない人いるし(爆)
もし『偏見』を抱くことが病なら…この世に健常者は存在しなくなっちゃうかもね(苦笑)
奇しくも、この作品と同じ時期に、仕事の空き時間でガストン•ルルーを読んでたんですが…狙ったわけではないのに、根っこの部分が符合していて驚きました(笑)
とても有意義な思索の時間になりました😌
『私はオペラ座の怪人。思いの外に醜いだろう?この禍々しき怪物は、地獄の業火に焼かれながら、それでも天国に憧れる』
我々が何気なく過ごす、なんでもない日々は…誰かにとっては、天国の価値がある。
彼らを怪物にして、焦げ付くまで焼いてしまっているのは…どこの誰なんでしょうね🤔
本来なら、もうちょっとフラットな気持ちで…このドキュメントを見るべきだったかもしれないなぁ(苦笑)
真摯に受け止めるべき作品でした。