YasujiOshiba

死霊のえじきのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

死霊のえじき(1985年製作の映画)
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密林レンタル。どうもロメロには中毒性がある。というか『マーティン』(1977)から『ザ・クレイジーズ』(1973)に遡ったらハマってしまった。

なんといえばよいのだろうか。なんといっても、まずはハンドメイドでオールドスタイルな映像がよい。この映画のオープニングなんて抜群だ。わかっていても飛び上がってしまう仕掛け。それも手作り。

今流行りのCGだった悪くはない。でもロメロの仕掛けには味がある。チープなんだけどギョッとさせる。写っているものは実物。その実物が「おぞましいもの」(アブジェクシォン)を装うのだけど、実物には実物なりの力がある。

だって、あの白い壁から突き出してくる手のひとつひとつは、たとえ夢の中のゾンビを装うものだとしても、実際には生身の人のもの。そうだとわかるからチープなのではなくて、チープなりに人のリアルがそこにあり、そのリアルが映像に力を与えてくれている。

さすがに後半のスプラッターには生身の人はつかえないとしても、そこは大御所となったトム・サヴィーニが腕を振るってくれている。なんの肉だか、なんのソウセージだかわからない代物のリアルが、ゾンビに貪り食われるプリプリのリアルの依代となる。

依代はあくまでも代理なのだが、それなりの格式がなければ代理は務まらない。ロメロ&サヴィーニの映像にその格式があるからこそ、ぼくらは嘘だとわかっていながらも、あの臓腑のおぞましさに目を背けてたくなり、目を背けようと思っても、凝視してしまうほかないというわけなのだろう。

それから、すばらしかったのがシャーマン・ハワードの演じるゾンビの「バブ」。人間を襲わないように躾(しつけ)られたゾンビなのだけど、人間の記憶を宿しており、本に見入ったり、ベートーベンに聞き入ったり、あげくは軍隊式の敬礼までしてみせる。

その「バブ」(Bub)というのは「おい、お前」のような荒っぽい呼びかけの言葉。そんなふうに呼びかけられても大人しくしているヤツという皮肉を込めた名前。もちろん大人しいのには理由があるのだが、そんな理由よりも見事なのは、このバブの立ち姿であり、人だったころの記憶を引きずる表情であり、さらには拳銃の打ち方さえも覚えている身体なのだ。

シャーマン・ハワードの演技は、おぞましさがコミカルに触れながらそれを超えてゆく様の輪郭をとらえて見事。空虚なのだけど、ぼくらがそこに哀愁さえ読み込めるのは、彼の見事な立ち姿があるから。ほとんど英雄的なその背中のシルエットには、思わず拍手したくなってしまった。

なるほどこの「バブ」が、『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(2009)で馬にのって走り回るゾンビのジェーンへと繋がってゆくわけか。


p.s.

ロメロの初期の作品を見るときに感じるものって、アレッサンドロ・ブラゼッティの初期の作品に感じるものとすごく似ているな。

どういえばよいのかわからないけど、それはたぶん、子供のように嬉々として、映画の表現を楽しんでいるところと、知的な大人として世界を批判的にとらえようとする意思があるところなんだろうな。

p.s. 2

これで「生きている死者」の三部作が完結。最初は1968年の『生きている死者の夜 Night of the living dead 』。10年後の1978年には『死者の朝 Dawn of the dead 』(邦題は『ゾンビ』)。それから7年後の1985年に公開されるのが本作『死者の昼 Day of the dead』(邦題は『死霊のえじき』)。

ようするに「生きている死者 the living dead 」たちは、「夜 Night」に目覚めて一軒家を襲うと、「朝・夜明け Dawn」までにはショッピングモール/世界を飲み込み、ついには「昼 Day」の世界に君臨して人間を地下へと追いやってしまう。

ゾンビをコントロールしようとする科学者は、どこまでも科学者としての狂気に駆られる。その研究を支えるはずの軍人は、どこまでも軍人としての無知と力に訴えるようになる。そして、どちらもそれが運命かのように、死者たちに飲み込まれてゆく。

かろうじて生き残るのは、科学者グループの唯一の女性にして、もっとも科学的な思考をする科学者でもあるサラ(ロリ・カーディル)。軍人からは見下げられている黒人ヘリコプターパイロットのジョン「フライボーイ」、そしてアル中の無線技師ビル。そんな「はぐれ者」だけが、ゾンビの波が及ばない孤島・楽園(?)に到着する。

孤島・楽園の砂浜で、サラはカレンダーをつけ始める。11月4日に印がはいる。そういえば冒頭でもカレンダーが登場していた。あれは10月にすべて赤いペケ印が入っていた。そしてカボチャ畑の写真。くり抜いて死者のマスクをつくるあのカボチャなのだろうか。楽園のカレンダーには写真はない。ただ、黒いペケ印が入るだけだ。

そこに流れるのが「The World Inside Your Eyes」という曲。日本語にすれば「あなたの目の中の世界」となるのだろうか。その歌詞はこうだ。

♪あなただけ、わたしだけ
♪ほかには誰もいない、わたしたちだけ
♪それが運命
♪プラント*は作られた
♪それが今、変わってしまった
♪だれが正しいのでなく、誰が悪いのでもない
♪生命はただ再編するもの
♪わたしたちにできるのはただ理解につとめること
♪わたしにできることはやった
♪わたしの未来はあなたの手のなかにある
♪だからこの心を、この魂を、この愛を、この命をつかんで
♪(トゥナイト)
♪ベイビー、強く抱きしめて
♪あなたの目の中の世界に連れていって
♪(トゥナイト)
♪あなたの目の中の世界に連れていって
♪(その目の、その目の、その目のなかへ)
https://www.youtube.com/watch?v=HvQpcIIlmK4
https://music.apple.com/jp/album/the-world-inside-your-eyes-feat-john-harrison/635002917?i=635003078

* プラント Plants というのは、「植物」でもあり「工場」でもあるのだけど、ここではたぶんゾンビたちのことなのだろう。そう思いながら訳してみました。

p.s. 3
サラを演じたロリ・カーディルのインタビューが面白い。ロメロは彼女の舞台での演技を見てキャスティングしたのだという。だから脚本は彼女を想定した当て書きになる。ここにあるのは、いわゆるホラー映画のスクリームクイーンではない。「銃を持った女性」という新しいホラーのヒロインなのだ。

https://crypticrock.com/interview-lori-cardille-of-day-of-the-dead/

時代もあったのだという。リドリー・スコットの『エイリアン』(1979)に登場するシガニー・ウィーバーなどは、新しい女性像の先駆け。その延長線上にサラもいる。そもそも、サラ Sarah とは古の女王に由来する名前でもあるはずだ。なるほど、身長もあるし、舞台で強烈ない印象を残したというロリが選ばれたわけだ。ゾンビ到来のなか、それでも人間世界を率いる女王にぴったりだったというわけだ。

ロメロの映画に登場する女性たちというのは、おもしろいテーマかもしれない。ゾンビによって世界がスーパーフラットになったとき、それまでのマジョリティやマイノリティーも区別がなくなり、社会的なステイタスは再編成される。そこであの「はぐれもの」たちが、見えなかった人間性を発揮することになるわけだ。
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