Kuuta

東京画のKuutaのレビュー・感想・評価

東京画(1985年製作の映画)
3.8
昨年の秋、北鎌倉を訪ねた。川喜多映画記念館も良かったし小津のお墓もおお…という感じだったけれど、一番印象に残ったのは北鎌倉駅だった。周囲に高い建物がなく、妙に真っ直ぐな木が山の裾野から降りている。抜けた空に向かって、踏切の遮断桿が上がる。なんかめっちゃ小津だ、と嬉しくなったのを覚えている。

第二次大戦を経て社会の価値観が180度変わったドイツ。変わっていく自国への郷愁、目の前の現実に抱くフィクション感。ヴェンダースの作風が、日本人に受けるのは当然だろう。

そんな彼が日本に小津の痕跡を求め、もう神話は残っていないと感慨に浸る、不思議なドキュメンタリー。アメリカへの憧憬をアメリカ映画に見出しながら、現実のアメリカに勝手に幻滅する彼の目線が、日本にも向けられた作品と言える。

舞台は1983年の東京と北鎌倉。見るもの全てにテンション上がっている感のあるヴェンダース。貴重な小津組のインタビューに加え、観光客目線で当時の日本を記録した映像にもなっている。小津の映画から変化した東京の象徴として、タモリ倶楽部のお尻フリフリが出てくるが、タモリ倶楽部も終わってしまった…。

「小津が自分を作った」という笠智衆、小津の撮影助手に徹し、死後は抜け殻のようになったという厚田雄春。「無」の墓を出発点に、フィクションに映る現実を探すヴェンダース。パチンコとゴルフ練習場、機械から出る大量の玉を巡り、日本人は自己完結した反復を続けている。

アメリカを真似し、ダンスを練習する竹の子族や、食品サンプルの工場で「模造品」が量産される様子。ディズニーランドも撮る予定だったが「これは普通にアメリカじゃね?」と思って辞めたらしい。

「食品サンプルと昼食の区別はつくのだろうか?」という問いは、映画が描けるものを探す彼の切実な問いだ。フィクションの中に現実があるのか、現実しかないのか。小津のローアングルを模倣し自分が撮ったものすら「夢のようだ」というヴェンダースと、東京タワーの展望台から「ここに見るべきものはない。土星まで良いイメージを探しにいく」と語るヘルツォークが、綺麗な対比を成している。76点。
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