晴れない空の降らない雨

ベルリン・天使の詩の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

ベルリン・天使の詩(1987年製作の映画)
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■2つの対面
 『パリ、テキサス』のマジックミラーに比べればささやかなものだが、本作にも鏡=ガラスを使った不思議なシーンがある。ヒロインが鏡を覗き込むと、反対側に主人公の天使がおり、彼は鏡を透過して(=鏡をガラスのようにして)ヒロインを見ている、というものだ。ヒロインは自分の顔を見ているが、その向こうから天使もヒロインを見ている。この構図は、まさしく『パリ、テキサス』でマジックミラーを反転させる際にも生じていた。
 
 このシーンは、本作でもやはり重要である。ラストでは、人間となった主人公とヒロインが実際に対面する。明らかにこのラストは、最初の対面の反復である。それでは差異はどこにあるか。もちろん、最初のシーンにおいて、天使はヒロインから見えていない。天使は一方的に見る立場にある。これは、『パリ、テキサス』でトラヴィスが最初に覗き小屋で元妻を見つけたときと同じである。
 
 2回目では、トラヴィスがそうしたように天使もまた一方的な見る立場を放棄する。彼は見られる存在になる。ヴェンダースには珍しいクローズアップの切り返しによって、そのことが強調される。
 
■カメラとしての天使
 このことは、本作における天使がカメラの隠喩であることを踏まえると、ある種の立場表明のようではある。90年代のヴェンダース映画における変化を予告していることは確かと思われる。その変化が良いものだったかどうかは、さておくとして(自分は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』のことを思い出す。冷戦末期から終結後の頃に、いきなり「社会」に目覚めたクリエイターは他にもいる)。

 記録者としての天使=カメラ。初めて観たときは思いつきもしなかったが、改めてこの映画を観ているとロッセリーニを思い出す。『ドイツ零年』のラストシークエンスにおける、崩壊したベルリンをさまよう少年のことなど。

 映画の特に前半では、天使という設定を生かして、カメラは自由に移動して西ベルリンの町を捉えていく。アンリ・アルカンによる滑らかなカメラワークは、本当に実体のない浮遊存在としての天使のようである。

 このドキュメンタリータッチな前半部において、時折はさまれる戦災の記録映像は白黒であるが、そのために「天使から見える世界は白黒」という設定を作ったのではないかと思える。つまり、この記録映像はもちろんカメラが収めたのだが、あたかも天使が見た記憶のように映画はそれを再提示している。
 
■旅の不在と……
 ヴェンダースの映画を特徴づけていた「旅」の不在は、本作の特徴でもある。かろうじてその名残りをとどめるのは、サーカス団がフランスからやってきたという事実と、フランスへ帰っていくシーンだけだ。むしろ映画は、旅人を見送る側に立つ。

 もうひとつ、「旅」と密接に関係している人物がいる。それは「ホメロス」という役名を与えられた老人である。彼は一言も話さず、ただ天使にだけ聞き取れる独白において雄弁である。ここでこの老人は壮大な旅の物語である『オデュッセウス』と、ホメロスの名に仮託された「歴史」とを、否定的に体現する存在である。
 
 ひとつ言えるのは、『ベルリン』における「旅の不在」、そして次の大作『夢の涯てまでも』という「旅映画の失敗」は、ヴェンダースその人の問題である以上に、時代の反映だろうということだ。何故なら同じような症候が、アンゲロプロス作品にも見られるからだ。

 早い話が、グローバリゼーションである。グローバリゼーションは旅を容易にし、安易にし、それによって旅を不可能にした(そして観光だけが残った)。ホメロス老人は、旅の時代の終焉を告げる存在だ。
 
■……歴史の不在
 事態はまったく同じようにして、「歴史」にも当てはまるように思われる。

 もっとも、そもそもヴェンダース作品にとって歴史は、『さすらい』の主人公のように歴史感覚の不在を嘆くという形、あるいは『まわり道』等でのナチスへの言及のように婉曲的な仕方でしか存在してこなかった。

 だが、『ベルリン』では、記録映像の挿入という一見きわめて直截なやり方で歴史を取り上げながら、依然として歴史の不在が際立っている。言葉、写真、さらには映像というメディア(媒体)を使いながら、老人がついにたどり着けないポツダム広場のように、歴史は立ち現れてこない。

 もちろんそれは必然的な失敗であって、ヴェンダースの資質の問題ではないし、むしろ監督はそれを私などよりずっと理解しているはずだ。けれども、戦争の記録映像まで呼び出てくる身振りはまるで、歴史に反抗しながら、その歴史が本当に終わりを迎えようとすると慌てて空しくそれを求め出したように映る。ベルリンの壁はまだフィルムに収められたが、すでにペレストロイカは始まっていた。まだ先の話だが、ヴェンダースはゴルバチョフを俳優デビューさせることになる。