ベルリン・天使の詩の作品情報・感想・評価・動画配信

ベルリン・天使の詩1987年製作の映画)

Der Himmel über Berlin/Wings of Desire

上映日:1988年04月23日

製作国:

上映時間:128分

3.9

あらすじ

『ベルリン・天使の詩』に投稿された感想・評価

全編が詩によって語られたような映画で、それは「去年マリエンバートで」を観た時にも同じように思ったのだけれど、あちらにはどこか人を寄せ付けない冷たさを感じたのに対して、本作には共感と癒しに包まれるような温かさがある。天使を介して私たちに届く同時多発的な人々の心の声。どの苦悩も不安も不満もが詩篇の朗読を聴いているよう。天使はその一つ一つに耳を傾ける。そっと寄り添い肩を抱く。時に前向きにさせることがあるけれど、概ねどの人にもそれは届かない。天使の中に堆積する無力感。ある日に見かけたブランコ乗りの女への恋。彼女の悲しみを生身で受け止め慰めたい。そして元天使の俳優に導かれるようにして天使は地上に降り立つのだ。人になった彼に彼女がカメラ目線(おそらく全ドイツ人に向けて)で語る言葉を私はよく理解できないけれど、時と場所からしてベルリンの壁を越えた東西の結束への願いが込められていたのだろうと思う。

子供は子供だった頃、
腕をぶらぶらさせて歩いた、
小川は川になればいいのに、
川は急流になればいいのに、
水たまりは海になればいいのにと。

子供は子供だった頃、
自分が子供だとは知らず、
どんなものにも魂があり、
すべての魂はひとつだった。

子供は子供だった頃、
物事に対する意見などなく、
癖もなく、
足を組んで座ったり、
駆けまわったり、
髪にはつむじがあって、
すましもせずに写真を撮られた。
(ペーター・ハントケ「幼年時代の歌」より)

再鑑賞。
lente

lenteの感想・評価

4.0
この映画を観ている僕を脇から見ていた妻が「これあなたのことじゃない」と言ったことがあります。人のようでいながら人ではないもの。惜しみのない心。直接手に触れることなく痛みや悲しみに寄り添う姿。

スピリチュアルやオカルトという意味での前世を積極的には信じていませんが、いまの自分たちを把握するための1つの象徴としての前世については、妻と面白がってよく話しています。つまり僕の前世は天使だったそうです。

前世をお互いに言い当てる遊びは僕がはじめたもので、結婚して10年が過ぎたころに、妻が何かに似ていると思ったのがきっかけです。はじめそれは偶蹄目(ぐうていもく)の草食動物くらいに漠然としたものだったのですが、結婚15年を過ぎてはっきりとした像を結びはじめました。

彼女はラクダによく似ていました。1箇所にとどまるよりも移動することを好む。毎日のルーティーンを苦もなくこなす。いつも何かをモグモグしている。あまり水を飲まない。長いまつ毛と顔の面積の半分くらいを占める大きな目を持っている。

また彼女はエジプト文明への不思議な郷愁を持っており、テレビや写真でピラミッドを見ると必ず立ち止まります。すっぴんでツタンカーメンのマスクに似てもいます(メイクの意味を感じたことがほぼない)。そして妻には水に対する恐怖があるいっぽう、海であれ湖であれ澄んだ水に対する強い憧れもあります。

このことを総合すると次のような像を結ぶことになります。

旧約聖書『出エジプト記』の時代。彼女は王家に近い場所で飼われていたラクダだった。ある日モーセという男が現れ10の災厄をもたらし、イスラエルの民を率いてファラオのもとを去っていった。ファラオは王家の威信にかけ軍勢に後を追わせる。そのなかには食料を積んだラクダの群れもあった。行軍からどれくらい経ったのか彼女は知らない。気づいたときには紅海は左右に分かれ、巨大な水の壁を作る川の底を歩いていた。やがて水は閉じられ圧倒的な濁流が彼女を襲う。

この話を妻に聞かせると、彼女は沈黙しながら思いをはせることになります。古代エジプトのあの頃ラクダとして生きていた自分を。濁流がどれほど怖かったかを。なぜ澄んだ水に対する憧れがあるのかを。

おそらく妻にとってのはじめての生はラクダだった。その後ジプシーに飼われた犬としての転生があり今はじめて人として生きている。犬として生きた頃の話もたくさんあるのですが、ともあれ妻をジッと見つめているとそのような情景が浮かんできます。

そして妻と『アラビアのロレンス』(デヴィッド・リーン監督, 1962年)を観て彼女がラクダだったことを確信したのですが、僕についてはこの『ベルリン・天使の詩』を観れば何かが分かる。僕にとってはそんな思いで振り返ることになる映画です。



1987年公開の西ドイツ映画と聞いて「あぁ2年前だ」と思う人は、もはや40代以上なのかもしれません。2年後に起きたのは1989年のベルリンの壁崩壊。

この作品が1つのアジテーション(扇動)として有効に働きかけた結果、東西ドイツを分けた壁を2年後に崩壊させたという解説もありますが、プロパガンダはもちろんあらゆるアジテーションに僕は興味がありません。良い作品はそんな企(くわだ)てを超えていきますし、超えられなかったものは残らない。それだけの話だとするのが僕の基本的態度としてあります。

ですからこの作品は1984年公開『パリ、テキサス(Paris, Texas)』に対する、監督自身のレスポンスとして僕は観ました。表現者には自身の作品をどう乗り超えていくかという宿命があり、そのことはきっと鑑賞者の想像以上に大きいように思います。

両作品に共通して流れるテーマは、何かに「つかまれる」という状況です。『パリ、テキサス』でトラヴィスがつかまれたものは虚無に近い名づけようのない何かでした。

トラヴィスはかつての妻をマジックミラー越しにしか見ることができなかった。涙を流すことはできても、肉体をもった固有の存在として彼女を抱きしめることはできない。すべては彼のもとから過ぎ去ったものであり、過ぎ去ったものに対して彼の肉体は何の責任も負うことができなかった。責任とはそれがたとえ不幸に導くことであったとしても、この体で彼女を抱きしめることを意味する。虚無に近い何かにつかまれてしまったトラヴィスにはそれができなかった。

いっぽう『ベルリン・天使の詩』に登場する天使たちもまた、一種の無力のなかにいます。彼らは人々のそばで寄り添いながら見守ることしかできない。悠久の時間を生き人の誕生以前からこの地にあり、人類が有史を刻みはじめて以降もつぶさにその1つ1つを記録し記憶している。嘆く人に手を添えることで、希望を取り戻していく者もなかにはいる。けれど彼ら天使は傍観者として存在するしかない。

そんななか天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)は1人の女マリオン(ソルヴェイグ・ドマルタン)に恋をする。そのとき彼は恋に「つかまれ」たといえます。彼は憧れる。地上に存在する温もりや冷たさに。バスタブにつかる癒しのためには疲労が必要であることに。そこに存在する苛立ちや絶望にさえ。

そして彼は天使から肉体をもつ人間になります。この過程は『パリ、テキサス』のトラヴィスの「つかまれ」とは綺麗に対称性を描いています。この世からあの世へ/あの世からこの世へ。いずれも「つかまれる」という力に動かされながらとった行為は正反対のものとなっており、『パリ、テキサス』のコールに対する『ベルリン・天使の詩』のレスポンスのように響きあっています。

ヴィム・ヴェンダースの企てがどうだったかは知りませんが、作品論的にはそのように観ることができますし、表現者としての宿命がこのようなコール・アンド・レスポンスを描かせたように感じられます。そして僕は作品論にしか興味がありません。何かを超えていくのは、監督の企図ではなくいつでも作品だからです。



またこの作品にはもう1人の重要人物が登場します。

それは刑事コロンボのピーター・フォーク(本人役)ではなく、ホメロスに思いをめぐらせる老人(クルト・ボウワ)です。ちなみにピーター・フォークには、かつて地上に降りた先輩天使以上の意味はありません。

彼は人類最古の吟遊詩人ホメロスに思いをはせ「語り継ぐ」ことの重要性を切々と訴える。かつてカフェなどで賑わっていたベルリンの壁づたいの空き地を歩きながら、東西に分かれていなかった頃を懐かしみ、ナチの旗がかかげられた1933年に心を傷ませる。そして言う。人々がどれほどの悲劇に見舞われようと、語り部(かたりべ)が語るなかに1つの救済があるはずだと。けれどもしも人々が耳を傾けなくなったからといって、語り部が語ることをやめてしまったならと。

これは「つかまれる」ことによって実存としての肉体を放棄したトラヴィスと、逆に獲得した天使ダミエルの往来とはまったく別の位相として表された、この作品のもう1つのテーマと言ってもいいように思います。

語り継ぐことのなかにある救済。

このテーマはたとえば『つぐない』(ジョー・ライト監督)にも描かれているものですし、他には『ノクターナル・アニマルズ』(トム・フォード監督)もまた同じテーマによるものとして僕は観ています。現実に起きたこととは別に、象徴的に物語るということのなかにある救済。僕自身17歳の頃に高校へと向かう通学途中で、そうしたことをよく思っていたことがあります。

Als das Kind Kind war
アルス・ダス・キント、キント・バー
子供は子供だったころ

こうしたフレーズが繰り返されていくペーター・ハントケによる詩は、語り部がもつ「声」による救済を象徴的に表しています。なんて美しい響きだろうと思います。

やがて映画のラスト近くで人となった天使ダミエルは、恋する人マリオンと出会う。そしてマリオンは、これまで自分に起きたことはすべて偶然と思っていたとしたうえで続けます。

マリオン:偶然はもうおしまい。先の運命がわからなくても決断する時。私たちの決断はこの街のすべての世界の決断なの。

このセリフは東西融合へのアジテーションと言えばそうなります。けれど僕にとってはペーター・ハントケによって書かれた言葉と響きあうように、そうした企てを超えていったものとして聞こえます。

マリオン:私は初めて私のすべてで迎え入れた。その人をそっくり迎え入れ迷宮をはりめぐらせた。一体でいる幸福の迷宮を。

つまりある種の「つかまれ」によって人は否応なくある状況を生きていくことにはなるものの、その「つかまれ」を宿命として受け入れたうえで意志的に「つかみかえす」ことによって、街も世界もこの世のものとして輝くことになる。

そのようにすべてを迎え入れることによって、僕たちのなかには迷宮のようなある困難が生まれることにもなる。けれどそれは幸福な困難だと言える。逆に言えば、幸福な迷宮として僕たちはそのなかに生きることができる。

ですから僕にとってはこのセリフは、仮にある時期にアジテーションとして有効に機能したものだとしても、歳月を通過することでそうした企てを超えることになった愛を詩(うた)ったもののように聞こえます。
0814

0814の感想・評価

3.9

このレビューはネタバレを含みます

モノクロとカラーの切り替え、カラーの方の世界の素晴らしさを丁寧に教えてくれる映画。

教えてくれという質問に対して、自分で見つけた方が楽しいという解答は、今はなかなかない考え方だけど、好き。自分もそう思う。

1時間9分からの音楽が完全にケイゾク。
mugcup

mugcupの感想・評価

-

このレビューはネタバレを含みます


コロンボ刑事が元天使だったなんて(泣)

物凄く評判が良い映画だけれども…
コロンボ刑事が主役すぎてコロンボ刑事が粋すぎてコロンボ刑事ありがとう
としか思えない私の感性ありがとう(泣)
みるく

みるくの感想・評価

5.0
上の世界から私たちが今生きているこの今世を見守ってくれている天使たちがいる事を教えてくれた作品。

サーカスで働くダンサーのピアスが光る光の映し方に釘付けになったなぁ。
そのシーンを写真に撮ったほど。笑
olto

oltoの感想・評価

4.7
生きていれば、絵を描ける。コーヒーも飲める。タバコだって吸える。手が寒ければ擦り合わして暖めることだって出来る。味を感じ、色を見つけることだって。ヴィムヴェンダース流の人生讃歌なのかな。2人が出会ったのは必然。足跡がついたシーンとバーでの抱擁のシーンで泣きそうになった。
台詞少なくてモノローグめちゃくちゃ多いけど、気持ちいいカメラワークとよくわかんねーサーカスと白黒とカラーの切り替えと人間良いよね〜ってなってく主人公で結構楽しんで見れた。

2時間は伸ばしすぎな内容だったけど。
mementoore

mementooreの感想・評価

5.0
ばらばらにあることの美学のある種の集大成。ここの先を考える。
私以外の人たちも頭の中で色々考えてるしそれをどこかで天使に覗かれているかもしれないなんて素敵やん

ベルリンいい街、たまに日本ぽく感じるのは同じく空襲で焼けてるからかな〜
ayaco

ayacoの感想・評価

4.0
天使が人々の生活を見守っている。
干渉出来ることはなく、
ただただ見守るだけ

1人の天使がサーカス団の女性に恋をして
こっちの世界にやってくる!
ロマンチックで静かなストーリー
基本モノトーンの画面なのだけれど、サーカス団の彼女の部屋のシーンで一瞬画面が色付くところが綺麗

なんとなーく、あっちの世界も悪くはないんじゃないかと思った
図書館の造りが好きだった
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