このレビューはネタバレを含みます
映画全体としては、まさに2000年代初頭のちょっとヘンテコでおしゃれで可愛い雰囲気が終始漂っていて、心が躍る。
イーニドとレベッカの友情がメインのパートは時折チクッとしながらも愛おしくて楽しみながら観た。
後半、イーニドとシーモアがメインになり、それなりに節度を守りながら育まれていた2人の友情も微笑ましく、さらにどうして自分をデートに誘わないのかというイーニドの問いに対するシーモアの返答を聞いてとてもホッとした。
イーニドにとって、親とはまた別に信頼できる大人がそばに居てくれたことが嬉しかったから。
しかしその後、未成年のイーニドと中年のシーモアの性的な展開が描かれたことで、それまでに芽生えていた肯定的な感情が乱された。
どれだけイーニドの方からすり寄られても、大人であるはずのシーモアにはその一線を守って欲しかった。
その瞬間に自分の中でシーモアは少し偏屈だけど信頼できる愛せるおじさんから、ただの変態おじさんへと成り下がってしまった。
時代を加味しても、それが例え映画的な展開であっても、うまく飲み込めない。
調べるとシーモアは原作の方では存在しておらず、映画化において作り出されたキャラクターとのことで………てことは、あの展開のために生まれたキャラクターだったってこと?
しかも撮影当時、キャスト自身も未成年と中年男性。
あのキスシーンをどんな感情で受け止めれば…
イーニドとレベッカの物語で終始まとまってくれていれば、自分の中で本当に最高の映画になったと思う。
イーニドの愚かな性体験だって、相手が同年代かもしくは少し上くらいなら全然違った。
大人に移り変わっていく彼女の痛みや、それに伴う自暴自棄ゆえの愚行を中年男との性行為なんかで表現しないで欲しかった。
そこだけが本当に惜しい。
でもすきな要素の方が多いから、すきな作品ではある。
イーニドとレベッカの関係、イーニドのファッション、イーニドの部屋のインテリア、鳴り続ける音楽、生活の中にいる変だけど敵じゃない人たち、よく行く店の雰囲気、滑らかに進んでいく会話たち、何者にでもなれるはずなのに何者にもなれない気でいる痛さ、愚かな行為へのしっぺ返し…
またそれらを味わうために観る。原作も読んでみよう。
確かインタビューか何かで監督が言ってた、「撮影中スカーレット・ヨハンソンは退屈そうにしてた」って話がかなりすき。