のすけ

酔いどれ天使ののすけのレビュー・感想・評価

酔いどれ天使(1948年製作の映画)
4.5
「酔いどれ天使」 1948年

監督:黒澤明
脚本:黒澤明・植草圭之助
製作:本木荘二郎
撮影:伊藤武夫
美術:松山崇
出演者:志村喬
    三船敏郎
    山本礼三郎
    木暮実千代
    中北千枝子
    千石規子


闇市で幅を利かせているが、肺に病を抱える若いやくざを貧乏で飲んだくれである中年医者が更生させて病を治そうと奮闘する話。

ストーリー
 素晴らしいキャラクター設計。三船敏郎演じる若いやくざの松永はその若さからか血の気が多く、町の顔になっており、栄華を極めている。反対に、志村喬演じる中年医者は飲んだくれで医者にしては貧乏な暮らしをしているが、その反面やくざである松永にも治療を施したり(恐怖からではない)、地域の子供の面倒もよく見ていて、利益を顧みず治療を施す姿勢はまるで本作のタイトルにある「天使」である。この天使というのは松永からみてのものだろう。松永がいる環境というのは真田と比べて一見、非常に優雅で豪華であこがれの対象になるようなものである。町を歩けばみんなが挨拶をし、好きな店で好きなようにものを食べたり商品を取ってもなんとも言われない。また、女も自分に寄ってきて好きなだけ遊べる。しかし、そういったものには必ず毒がつきもので松永の環境というのは非常にもろく、少し状況が変わるとあっという間に松永に敵対するようなものなのである。岡田という男が出所し、松永の病が進行してからは今までの態度が嘘だったようにみんなが松永に対して冷ややかな視線をなげるようになる。心を通わしいたはずの女はすぐに自分を見限り、自分に従順だった町の人たちも自分を軽蔑するかのように反抗してくる。松永が持っていたものは彼が強く、影響力を持っていた間だけに許されるものだった。全てを失った松永に手を差し伸べるのが真田なのである。真田は松永の看病をし、家に寝かせ、熱心に治療を施す。松永にとっては真田は暗やみの中の一抹の光だっただろう。しかし、松永は自分がいた場所への未練が捨てきれなかった。自分の居場所はまだあると、自分が今まで築いてきたものがそう簡単に自分を裏切るはずはないと信じてしまっていた。だが、松永は親分の本音を聞き、全ては幻想だったと知り、絶望するのである。自暴自棄になった松永は岡田の殺害をたくらみ、返り討ちにあってしまう。松永は沼のようなその環境から抜け出すことができず、その沼の中で死んでしまったのである。真田はその事実に落胆するが、彼のもとに彼が今まで診ていた少女がやってきて、彼女の結核が治癒したと言う。真田は絶望の中に光を見出す。
 松永の葛藤は今の時代にも通ずるものであると思う。例えば、インフルエンサーなどがそうだろう。彼らは大きな影響力と富を得ているが、それは彼らが有名で影響力を持っている間だけなのである。もし、少しでも炎上をすれば、自分に似たインフルエンサーが新たに表れれば、自分は忘れられ、それまでに持っていたものは嘘のようになくなっていく。しかし、一度その甘い蜜を吸ってしまったものはなかなか抜け出せず、なんとしてでも戻ろうとする。本作の松永の物語は現代にも通ずるものがあるのである。

演出
 本作は町にある沼が象徴的に描かれている。冒頭のクレジットが流れる瞬間から町の沼が映し出されている。それからも時折沼をスクリーン名いっぱいに映し出すショットがいくつも挿入されている。そして、真田は松永のいる環境をこの沼のようだと指摘するシーンがある。つまり、沼はこの町の悪の象徴である。また、それは松永のいる環境でもある。一度はまった抜け出せず、その身を蝕み続ける。冒頭では真田が町の子供たちが沼のあたりで遊んでいるところに「こんな水を飲んではいけない」と注意する場面がある。これは表層上では衛生面的に注意したことになっているが、これはこの町の悪に染まってはいけないという真田からの子供たちへの注意ともとれる。加えて、松永がこの沼と向き合うシーンが二つある。一つ目は、松永が病気に向き合い始めていたところ、一輪の花を手に沼を眺めている。そこへ、出所した岡田が現れ、松永はその花を沼に投げ捨てる。その投げ捨てられた花が沼に浮かぶショットが挿入されていることからも、松永が手にした一瞬の希望をこの沼に捨て、またもやもといた環境へ戻っていくことを示唆している。そして、二つ目は松永が今まで持っていたものをすべて失い、絶望しているさなかに沼の前にたたずんでいるシーン。そこでは、松永は沼を眺めており、その視線の先には沼に浮かんでいる人形がある。それは沼、町の諸悪に入り抜け出せなくなっている松永自身を表しているのではないだろうか。

 滑りやすいペンキの上での岡田と松永の攻防のシーン。ただのナイフを持った取っ組み合いならば簡単に決着してしまいそうであるが、「滑りやすいペンキの上」という場面設定を作ったおかげで、どうなるかわからない緊迫の場面を作り出している。少し滑稽に見えなくもないが、どうなるかわからないといったサスペンスを生み出しているという点でこの演出はせいこうであっただろう。
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