【中年の轟夕起子がいい】
甲斐性なしのダメ男(三橋達也)と、その恋人で元娼婦の女(新珠三千代)が、お金も泊まるところもなくて、女がむかし勤めていた遊郭の入口にある小さい飲み屋に転がり込むところからお話が始まります。
結局その店をひとりで切り盛りしているおかみさん(轟夕起子)に甘える形で、女はその店で働き、男は近くのそば屋で出前持ちをやることになる。全然知らないカップルが飛び込んできたのを、嫌な顔もせずに面倒をみてやるおかみさんに、私は感心してしまいました。
全体の筋書きはとりとめもなく、要するにあまり能力もお金もない人間が右往左往しながら生きる様子を描いていますけど、最初は「なんだ、これ?」と思いながら見ていたものの、そのうち作品のペースに乗せられたのか、「まあまあ面白いかな」と思えるようになっていきました。要は人間喜劇、ですよね。
でもこの作品のかなめは、やはり飲み屋をやっている轟夕起子ですね。夫に若い愛人を作られて逃げられ、小さな男の子二人を抱えて必死に生きているのに、さらに上記のしょうもない二人の面倒を見、さらに途中から夫が戻ってきても追い返すことなく家に入れてやり、せっせと働き続けるのです。まさに日本女性の鑑(かがみ)ではないでしょうか。
調べてみると、轟さんはこのとき39歳。この映画が作られた1956年当時の女性の39歳は今なら45歳くらいの感じで、実際そんな印象ですが、こういう女性によって日本は持ってきたんじゃないか、という思いを強くしました。
戦前に作られた映画でも轟さんを見たことがありますが、その時は丸顔の美少女でしたね。この映画の約10年後、50歳にならずに亡くなられたそうで、日本の映画界も惜しい人材を失ったものです。