ヨーク

マッチ工場の少女のヨークのレビュー・感想・評価

マッチ工場の少女(1990年製作の映画)
4.1
引退宣言を返上して製作し、昨年公開されて日本でもミニシアター規模では十分なスマッシュヒットとなった『枯れ葉』のおかげではないかと思われるのだが近場の名画座で5月いっぱいまでアキ・カウリスマキ特集をやっており、そこで本作『マッチ工場の少女』も観ることができました。こういう機会は非常にありがたいですな。
俺はアキ・カウリスマキ好きなんで昔近所のTSUTAYAに置いてある分はほぼ全部見たと思うんだがこの『マッチ工場の少女』は未見でした。1990年の映画らしいのでまぁアキ・カウリスマキのキャリア的には初期と中期のちょうど過渡期くらいの作品ですかね。そこそこの本数を見ているアキ・カウリスマキのファンとしては『マッチ工場の少女』というタイトルから連想する感じとして、貧乏など底辺の薄幸少女がいいこと一つもないけど最後にちょっとだけ良いことが起こって人生捨てたもんじゃないよって話かと思っていた。これはきっと俺だけではなくアキ・カウリスマキ(特に21世紀以降の)作品をいくつか見た上で本作のタイトルを聞かされたら多くの人が思い浮かべるイメージなのではないかと思う。まぁ先日初めて観た同特集での『ラヴィ・ド・ボエーム』もいつものアレ感がありつつも何だかんだまだ90年代前半でアキ・カウリスマキ若いなぁ、とパワフルな部分を思い知らされたのだが、本作はちょっとそういう既存のアキ・カウリスマキイメージも覆ってしまうような意外な展開を見せる映画でしたね。
お話はタイトル通りに田舎町のマッチ工場で働く少女が主人公。少女というと高校生くらいまでなイメージを持ってしまうが、多分彼女は20代前半くらい(作中で明確に年齢の描写はなかったので多分だが)で立派に仕事もしてい人である。だが自立して気ままに生きているのかというとそうでもなく、マッチ工場のショボい給料で母と義父を養っているという状況。そんなある日彼女は僅かな贅沢のために金を使うがそれをきっかけにして不幸な連鎖が始まり…というお話ですね。
賢明な諸兄ならば、いやいつものアキ・カウリスマキじゃん! と思われた方も多いだろう。確かに確かに。でもそれはネタバレなしで何とか本作を紹介したいという俺の苦心によるもので、彼女が気晴らしのように自分のために金を使ったことから始まる不幸の連鎖に対する主人公のケリの付け方が凄いんですよ! これはちょっと21世紀以降のアキ・カウリスマキ作品ではなかった展開だと思う。だってさ、アキ・カウリスマキの映画を観に来てまさかスーパーヴィラン誕生のビギニング系映画とは思わないじゃん! それはちょっとワシの目をもってしても見抜けなんだわ…てなるよ。
各シーンの作りや演出が生み出す空気感というのは映画的ミニマリズムとでも言うべきアキ・カウリスマキの作風が遺憾なく発揮されていて21世紀以降の作品群の原型はすでに完成しているといった感じなのだが、やはり若さゆえの勢いのよさというか作り話だからこそ発揮することができる強烈な主張とでも言えるものが終盤強烈にスクリーンに焼き付けられているのが非常に印象に残る映画でしたね。そういう意味では寓話的な物語でもあると思う。これは割と真面目にそう思うんだけど、本作は中学生くらいの道徳の授業でガキに見せるべきではないだろうかとさえ思いましたね。
いやだってお話としては終盤の強烈な展開はあるものの、主軸となるものはとてもシンプルで、他人をイジメたら自分も仕返しされるかもしれないよっていう、それだけの因果応報なお話なんですよね。まぁ特に関係のないおっさんも一人いたような気もするが、まぁそれはいいだろう(よくない)。だからすごく道徳的な映画ではあるんですよ。感想文の最初でアキ・カウリスマキがこんな映画を!? と驚いていたし、実際物語の展開としてはびっくりするものではあるけど悪い奴が報いを受けたという意味ではとても分かりやすくて道徳的な映画ですよ。そこから導き出すことができる、他人に優しくしようね、っていうメッセージはいつものアキ・カウリスマキ作品のものではある。
ま、結論はそこだとしてもその見せ方というのは中々に毒を含んだもの(おっとネタバレになってしまうか!?)なので『枯れ葉』のイメージのままで本作を観たらギョッとする人はたくさんいるんじゃないかなとは思うけど。いや、でもめっちゃ面白かったですね。アキ・カウリスマキ作品でこれほどドラスティックな行動を見せる主人公は中々いなかったように思うのでしみじみグッとくるみたいな感じじゃなくて、うおぉぉ!! そう来るのか!! いいぞやっちまえ! っていうテンションになれるアキ・カウリスマキ作品として本作は稀少なのではないかと思いますね。
これは好きな映画です。
ヨーク

ヨーク