映画漬廃人伊波興一

マッチ工場の少女の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

マッチ工場の少女(1990年製作の映画)
4.5
まかり間違えば自分だって、という想像力で世間の有事を捉えている訳でもないのに、どうしても放っておけないお節介心を掻きたてる。アキ・カウリスマキ『マッチ工場の少女』

当たり前のような日常と当たり前とは言い難い事件の境界線がふっと希薄になった瞬間、私達はどう処理すればよいのか?
普段はまかり間違えば自分だって、という想像力で世間で起きている有事を捉えているわけではないにもかかわらず、カウリスマキは観ている私達の中からそんな境界線を軽々と取り払い(踏み越えてしまった者)の渦中にいつの間にやら連れ出しております。
しかも腕を鷲掴みするような強引さは微塵もなく見たいなら後から勝手についてくればいい、とでも言いたげなくらい無関心に。
実際、『罪と罰 白夜のラスコーリニコフ』も『コントラクト・キラー』も『浮き雲』も『過去のない男』も『ル・アーブルの靴みがき』も劇中人物が私達を含めた他者を振り向かせたり、関心を引こうという気などさらさらなく、他ならぬ私達が、コイツら、放っておけば何をやらかすか分かったものでない、という貧しいお節介心から付き合わざる負えない不思議な魅力があるのです。

だが無力な私達が彼らに救済の道を用意出来る術がある訳でもなく事態はシニカルに彼らを追い詰めていきますが、その気配にいささかの絶望感もないのはカウリスマキ作品を一本でもご覧になれば明白です。

真の(救済)とは私達が考えているより遥かに裾の尾が広いかもしれない事実をカウリスマキ作品から窺えます。