カラン

愛おしき隣人のカランのレビュー・感想・評価

愛おしき隣人(2007年製作の映画)
4.5
『スウェーディッシュラブスートリー』(1970)で、半分くらいに本性を抑えていたロイ・アンダーソンは長編2作目を撮った後で、25年の沈黙に入った。2000年に『散歩する惑星』でやっと長編3作目となった。これが「リビング・トリロジー」、生者の3部作なるものの第1作らしい。本作『愛おしき隣人』はトリロジーの2作目。1作目はまだ観ていないし、これまで『スウェーディッシュラブスートリー』しか観たことがなかったのだが、そちらとは撮り方がまったく違う。

ロイ・アンダーソンは本作で資金繰りに苦労したようで、何度も質屋に行ったとか。撮影も何度も中断されたという。素人をかき集めたのは、方法論というより現実的な問題であったのだろう。最終的には600万ドルほどに膨らんだ模様。


☆空間の不在と眼差し

スウェーデンの自社でのセット撮影なのだが、光の当たり方が太陽光のような映画空間を構成し、方向性を与えるようなものではない。稚拙な切り絵のように、奥行きの乏しい2次元的な空間で、誰かが誰かを見ていたり、聞いていたりする。その内に見られていたり、聞かれていた人物が、ふと、画面の手前を見ており、話しかけてくる。普通にカメラ目線をしてくる。面白いのは乏しい映画空間を視線で画面手前に伸ばしてくるところ。


☆ゴースト

ほとんど無作為にゴーストが出現する。ドーランを塗っているのが、ぬっと出現しており、映画の誰かを、つまり鑑賞者が見ている誰かを、見る。あるいは、ゴーストが何を見ているのか追うと、映画の誰かを見させられるというのか。ゴーストは何か映画内のことを、スクリーンの手前の現実と相互的な関係を結ぶ媒体のように機能しており、その作用が進むと、劇中の人物がこっちを見て、話しかけてきたり、順番待ちの列で私たち鑑賞者に順番を奪われないかと、警戒してくるのだ。劇中の人物が私たち鑑賞者のことを気にかける、ゴーストを経由して!

しまいには、ゴーストの爺さんが、ゴーストの太いおばさんとやる。やり続ける。軍楽隊の黄金ヘルメットを被ったおばさんはよがっており、ずっとよがっている。爺さんは話している。誰に向かって話し続けているのか?このシーンの長さには心を打たれる。(^^)


☆つまり、、、

インタラクションである。相互主観生の眼差しをあやとりして結び目を作ることで、映画の世界を鑑賞者に内面化させるというのか。そうやって映画空間を広げるという。なかなか面白い試みである。まずはトリロジーを全部観てみるとしようか。



レンタルDVD。画質は良くない。2chの音質は悪くないが、不思議系。55円宅配GEO、18分の10。
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