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処刑の丘のKKMXのネタバレレビュー・内容・結末

処刑の丘(1976年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

【フィル友の評判】
マリさん⭐️5
ごろさん⭐️5
三毛師匠⭐️5

 平均満点!こんなガーエーは観るしかないと思い、2年前からチャンスを窺ってましたが、ついに鑑賞。いや、これは噂に違わない大変なガーエーでございました。超研ぎ澄まされている、凄まじい作品です。


 今回は完全ネタバレで感想します。ただ、正直言って本作はネタバレしていても面白さに影響しない作品だと思います。俺も結末を知って観たけど、微塵も影響なかったです。
 ま〜でも一応ネタバレ蓋しておきます。


 時代は第二次世界大戦中。ナチスドイツに追撃されて森に逃げ込むパルチザン部隊。パルチザンのリューバクとソートニコフの2人は別働隊として食料探索に出発する。しかし、ソートニコフは足を撃たれ、逃げ込んだ民家にてドイツ軍に捕縛されます。
 ナチスに寝返ったロシア人判事ポフトノフは2人を尋問する。ソートニコフは頑として屈しないが、リューバクはナチスの犬になることで助命に成功する。
 翌朝、ソートニコフは匿ってくれた中年女性やパルチザンに関係している老人、謎の少女(たぶんユダヤ人なんだろうね)とともに処刑される丘に向かう…というストーリー。


 とにかく、良心に殉じるソートニコフと魂を売り払ったリューバクの対比が凄まじい。詳しくないから適当ですが、おそらくキリストとユダの物語の再現でしょう。
 ソートニコフ処刑後、生き残ったリューバクが良心の呵責に耐えられなくなり気が狂うレベルで煩悶するシーンがこれでもかと描かれています。リューバクは裏切り者として己が良心に責められながら生き続けるのであります。リューバクは物理的に生き残ったけど魂は完全に死んでしまった。自殺を試みても死ねないリューバクはあまりにも惨めです。
 こう書くとリューバクはブタ野郎のようですが、ナチスに捕縛されて取引で命が助かるのであれば、普通それに飛びつきますよ。リューバクは捕縛される前まではソートニコフをずっとかばってきましたし、本質的にはかなり良い奴です。誰もリューバクを責めることはできないと思いますよ。いつか来るであろうこの後悔に向かい合うリューバクの再生も観てみたいものです。

 ソートニコフはなんでこんな聖人のように運命を受け入れたのか、その真意はわかりません。ただ、足を撃たれた時に彼は自決を考えました。しかし、その時彼の目には満月が映るのです。その後、彼は木を背にしてひとりで息を殺して休みます。その目に映るのは枯れ木とそれに積もった雪。枯れ木に苛立ちをぶつけたソートニコフは、その後突如静謐な表情となります。この時から彼は死を恐れなくなりました。
 このシーン、合理的な説明は今の俺には不可能なんですけど、すごく説得力があったんですよね。あ〜ソートニコフ覚悟決まったわ〜、とめっちゃ伝わった。この体験がなければ、ソートニコフだってリューバクみたいにもがいたのではと想像しました。

 判事ポフトノフがまたクソブタ野郎なんですよ!しかもタルの『ストーカー』でクズな物質人である作家を演じた俳優だったから、余計ブタ感がありましたよ。
 彼は元々は少女に歌を教えるような良いおじさんだったようですが、生き残るためにナチスに屈し、ブタのように生きざるを得なくなったのでしょう。ソートニコフを拷問し、ソートニコフがまったく屈しない姿を見つめるポフトノフの表情はたまらなく複雑なのです。自分の醜さがソートニコフの崇高な態度で炙り出されるからでしょう。
 とはいえ、やっぱりポフトノフを糾弾することはできないな〜。ああ生きるのも無理ない。抵抗したら殺されちゃうもの。


 ソ連時代のタル映画にも感じたことですが、本作でも個人の尊厳を踏み躙り統制する権力が描かれていると感じます。まさにこれはソ連当局なんでしょうね。本作ではナチスに当局を重ねていると思う。タルは彼らをひっそりdisって厭世的に嘆く感じでしたが、本作ではそのような暴力にさらされた時、人はどのような態度を取ることができるのかを描いていると感じました。
 ただ、できるかどうかは別として、力に対抗するにはソートニコフのように生きるしかないのだろうとは思いました。ブタのような生は人類の魂を死滅させます。ソートニコフは覚悟を決めた大自然の体験によって、生への執着よりも大切なことを感じたのでしょうね。良心に従って人生を終えることが、尊厳を蹂躙する暴力を否定し、自分自身の生を全うできると直観していたのでしょう。死刑の日の朝、彼はポフトノフに自分の名前を告げ、俺には祖国があると伝えます。彼は死にますが、彼の魂は暴力に屈しなかった。
 ソートニコフの死は、その場に居合わせた少年の目から涙を流させました。彼の魂は確実にその少年に引き継がれるでしょう。このシーンは極限までに重苦しい本作の中で、人類の希望を感じさせる灯だったと思います。


 テーマも凄いし切実度もハンパない本作。だからか、とにかく強烈な謎の説得力に満ちています。前述したソートニコフの覚悟シーンとかも一例です。
 それを一番感じたのが処刑シーンのソートニコフとおばさんのやり取り。ソートニコフと一緒に、彼ら2人をかばったおばさんも処刑されます。このおばさんはマジで巻き込まれ事故なんですよ。たまたまパルチザンの2人が自宅に逃げ込んできて、ひとりはケガしてるからイヤイヤ匿ったらナチスに見つかり、2人を隠したところソートニコフが咳をしてバレて、2人と一緒に連行されるという不運!
 おばさんには幼な子が3人おり、だからおばさんは最後まで命乞いするのです。子どもたちを残して死ねない、と。ソートニコフはキリストでございみたいなツラで死を覚悟してるけど、アタシが殺されるのオマエのせいだからな!って気持ちが当然伝わってきます。
 そのとき、ソートニコフはおばさんに「すみません」とシンプルに謝罪するんですよね。これで何とおばさんは落ち着き、運命を受け入れます。
字面にすると「えぇ〜ッッ!謝って済む問題じゃねーだろ!」と思うのですが、このシーンもめちゃくちゃ説得力があり、すごい納得するんですよ。なんですかね、これ。合理的説明はやはり不可能ながら、100%腑に落ちました。この一言でおばさんは赦すまではいかないものの、受け入れるな、と。
 これが宗教的な力なのでしょうかね。生への執着を捨て去り、力に従わないと決めて生きる人間だけが纏う聖性なのかもしれません。良心だけの存在になった時、人は聖者になるのかな〜と想像しました。

 そんなことまで体験させてくれる本作は、とにかくヤバすぎる1本でした!ド文藝映画なので広く観られる作品ではないでしょうが、ソフト化もされておらず、語り継がれていないのがおかしい作品です。歴史的な傑作なので、もっと知名度が上がって欲しいです。
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