コハク

東京物語のコハクのレビュー・感想・評価

東京物語(1953年製作の映画)
5.0
何度も繰り返し観た映画、それも既に洋の東西を問わずありとあらゆる賛辞が捧げられてきた映画をレビューするのは難しい。その上であえて言うならば、この映画はゲマインシャフト(地縁血縁などの共同体的関係)とゲゼルシャフト(組織的・交換的関係)の差異と相克に揺れる家族にこれまでもかというほどに肉薄し、近代化の一断面を活写した傑作である。
尾道から父母が上京したというのに、表面上の歓迎の裏で厄介者のように扱う子供たち。自らが冷遇されている事実にどこまで気づいているのか分からない老夫婦のおおらかさが涙を誘う。「子供は親の思うようには育たんもんじゃ」と呟く一方、未亡人の紀子にだけは「不思議なもんじゃのお、血の繋がってないあんたが一番良くしてくれた」と言う。子供達は仕事が忙しく、もう「自分の世界を持っている」、言わば都市・東京の経済的・交換的関係に吸収され、故郷の血縁的な紐帯を忘れたかのようである(長男・公一が最後まで冷たい医者の態度を貫くことに象徴されている)が、紀子だけは丁寧に老夫婦に寄り添おうとする。夫婦はそこに、実の子供達以上の「家族らしさ」を読み取るのである。
しかし紀子こそ、老夫婦に寄り添うのは心の底からの善意や思いやりというわけではない。老夫婦の亡き息子を夫としていたという事実(それも紀子によれば「最近は思い出さないこともある」「ずるい」繋がり)に支えられた、社会的規範の内面化や後ろめたさといった負の感情にも動かされた結果なのである。しかしそれに気づかない老父母は、それを完全な血縁的紐帯と錯視する。実の子供達がゲゼルシャフト的関係に吸い込まれてしまい、ゲマインシャフト的人間関係を保つ父母との間に圧倒的な亀裂が生じてしまった結果、擬似的な血縁関係にすぎない紀子を真の家族的存在と捉えること、この悲哀に肉薄していくのがこの映画のクライマックスである。それは老母が「ええ人じゃのお、あんた」と声をかけた後に、紀子が見せる避けるような目線であり、尾道の座敷で紀子が老父の前で見せる涙と感情の切れ間の正体である。

最後に、この物語の隠された主題は「時間」ではないかと思う。東京の慌ただしい時間と尾道のゆったりとした時間。両者の間を行き交う旅人は、自分と他者の時間の流れの違いの中で動く。尾道の時間の流れに寄り添ったのも紀子だけである。紀子が贈られたのも時計であり、ラストで老父のいる座敷にも時計の音が響いている。それは皆が帰った尾道に残された都会の名残のようにも思われるし、老父の残りの人生を刻む音にも聞こえるのである。
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