誰かの小さな罪が1人の男の人生を揺らす。
本作は、ブレッソンのモティーフである「手」や「視線」の他に、「扉(窓)」の使用も興味深かった。
扉や窓は思惑に限らず、強制的に社会や他人とシャットダウンする装置。
扉を少し開けておく、または躊躇なく閉じる。
登場人物の内面の表出として、扉が機能しているのが面白い。
一つ一つの動作が自然に行われることで、無意識化で行われる人間の行動にフォーカスしていることが分かる。
ただ、それらの精巧な画面構成を超えて、1番印象に残ったのは「音響」だった。
83歳にして、まだ新たな映画の革新をみていたブレッソンに脱帽です。
空虚を見つめる観客。善はもう去ってしまった。