ラルジャンの作品情報・感想・評価

「ラルジャン」に投稿された感想・評価

goliath

goliathの感想・評価

5.0
若い頃、クリストファー・ノーランの「メメント」を観て、その計算され尽くしたストーリー展開に衝撃を受けましたが、このロベール・ブレッソンの遺作「ラルジャン」を観ると、メメントがただのエンタメ映画に霞んでしまう程、本体の作りに圧倒されました。

小説を読む時は、登場人物のルックスや声、ロケーション等を読者はそれぞれにイメージを想像してストーリーを咀嚼していきます。それが小説の面白いところです。

それに対して、映画は全てが映像で具現化されています。
しかし、同じものを観ても、観る人で捉え方が違うことも出てくるのが映画の面白いところです。

本作は、それぞれのカットにおける出来事を最小限のヒントで観る側に伝えています。
カットとカットの間に何が起きたのか、それをギリギリ理解させ、それぞれの解釈で咀嚼させる構成が本当に見事としか言いようのないものでした。

映像もそこらの芸術作品よりも芸術的で、さすがは今巨匠と言われるような多くの映画監督に影響を与えた作品だなと思いました。

比較的高額なブルーレイ買い漁ってでも、もっとブレッソン作品を観たいです。
sakikas

sakikasの感想・評価

4.5
夢を諦めさせる映画があるって大事なことだと思う。これ見たら田舎帰るしかない。
運悪く偽札を手にしてしまったことから始まる1人の男の数奇な運命。誠実な人間が世に蔓延る虚偽によって翻弄され破壊されていく様子が描かれている。巻き込まれた立場にいた主人公自身も妻にある隠し事をしたことによって最も大切なものを失うことになる。ひとつの隠し事が破滅へと繋がる。虚偽というものの邪悪な巧妙さが生々しく描かれている作品だった。音や空気感など演出面にも圧倒的な力がありゾクゾクする様な怖さがあった。
wong

wongの感想・評価

4.0
完璧としか言いようがない。
演出もカメラワークも
ドアの繋ぎも。
ptitsa

ptitsaの感想・評価

5.0
7/10 (金) Blu-rayを購入したので観てみました.
こんなに人に対して考えさせるように映画を撮ることができるのか,と度肝を抜かれました.一つ一つのショットに意味があるのですが,その焦点が必ずしも中心人物に合っていないので,集中して観なければ繋がりがすぐにわからなくなってしまうのです.加えて,感情の起伏をほとんど出させない演出なので,より今我々は物語のどの地点にいるのかを考えさせられる構成になっています.例えば,イヴォンが騙され警察に追われて事故に遭ったシーンでは,すぐに裁判所のシーンに飛び,捕まったことが無駄なく示唆されます.また,エリーゼからの手紙が来るシーンも,一度検閲官による選別のシーンを挟んだかと思うと,次には枕に泣き伏すシーンに移っています.

BGMも一切ないので,観客はただ真摯に筋と人間関係を追っていくほかはありません.筋自体はそれほど難しくないですが,これほど集中力を途切らせないように映画を構成することができるのかと新鮮な驚きを受けました.もちろん,ショットにも一切の無駄がなく,間延びしたシーンが全くないので,刺激的な効果はないにもかかわらず,引き込まれっぱなしでした.

貨幣に媒介される物々交換が,偽札という不協和音を挟むことによって,さまざまな人々に不幸を呼び起こし,最終的に元に戻れない地点にまで行き着くという寓話的な意味の込め方も素晴らしいです.
決して娯楽ではない,芸術としての映画です.こういう映画をもっともっと観てみたいと強く思いました.とりあえずブレッソンの他の映画を当たってみようと思います.
少年が軽い気持ちで使った偽札がさまざまな人間の人生を狂わせていく。劇伴はないし、登場人物の感情表現がほとんどない無機質な演出。善良な主人公が落ちていく過程も淡々と描かれている。ものすごく非情で見ていて、やるせない気持ちになってくる。怖い。
ri2

ri2の感想・評価

4.0
ラルジャンの意味をわかって、もう一度観たい。
かけ違いの悲劇なのか、素質があるのか。
この映画に限らずこの手の作品は弱者(この場合はラルジャン的な意味)が不条理を被ることが多い。だから最後は自分で生み出した原因と結果ということでわざわざ決着をつけたのだろうか。

アングルが今までに観たことのないようなものが多く、腰の高さの映像が多いのが印象的(特に扉と取手)。なんで腰の高さなんだろう?
そしてカメラが追いかける登場人物がさくっと次々と、淡々と変わるのも印象的だった。
ロベールブレッソン監督作

一枚の偽札が更なる悪事をまねく。この負の連鎖はある善良な男をとんでもない犯罪者に仕立てあげるまでに至る。

映像表現が非常に異質だった。ある出来事を写すのに、フィックスで撮るのではなくある一点へのフォーカスで撮る。例えば知らずに偽札を持たされて使ってしまった男がカフェの店長に指摘されて逆ギレするシーン。吹き飛ばされる男ではなく、胸ぐらを掴んで突き飛ばす男の手のアップなのだ。直接的な描写ではなく間接的な描写を描くことで観客に想像させる。見せない方がむしろリアルになるのだ。

ちなみに是枝監督がこれ面白いよねって言ってた。
あと黒沢清監督はこの映画とこの手法にめちゃくちゃ影響受けてる。
音と共に観客までも置き去りにする映画。ブレッソンの身体性って運動とはまた別の知覚だから面白い。
〈人の手を渡り、悪意と不条理を撒き散らす横長のジョーカー〉

 一枚の偽札からはじまった悪意と不条理の連鎖を「結果」に絞って書き留めていくミニマリズムの極致。説明も排除、感情も排除。そんなブレッソンの美学は「殺害」「自殺」といった重大な局面にこそ嬉々とし、ただただ「結果」を「手」が語る。贅肉どころか必要な筋骨すら削ぎ落とす彼の美学を前に、僕らが培ってきた物差しは呆気なくへし折れる。

 後半には、衝撃的で悍しい展開が待ち受ける。表面上は金や住居のために人を殺めたようにとれるのだが、不条理に足を取られつづけたイヴォンにとって、あの殺害は、“もっともな理由によって投監されなおす”ことで不条理から脱却する意味があったのではないだろうか。

 そしてあの展開は、バルタザールと同じく完全なる被害者に見えたイヴォンすら最後は悪意の連鎖の一部へと取り込まれるところに、大きな意味があるはずだ。思えば、すべての始まりに見えた少年の「偽札」も、彼がつくったのではなく、不良仲間など別の人間に譲り受けたものかもしれない。本作の連鎖は始まりも終わりもわからず、どこまでも途切れないように見えるのだ。そんなことを考えたとき、ようやく序盤にカメラ屋の店主が吐いたセリフが効いてきた。

「偽札はこのパリにいくらでもまかり通っている」

 この「偽札」は、ババ抜きのジョーカーのようにパリ全体を廻っていき(もしくはパリの外まで廻っていき)、悪意と不条理を人々の「手」の中に忍ばせていく。そんな混沌に満ちた現代を描くのに、いちいち感情など込めていられない。ブレッソンが追求したミニマリズムはそんな世界への諦観から来るのではと、なんの文献も読まず勝手に想像していた。

 そんな本作の「偽札」は、悪意を媒介するはたらきをとる意味で、バットマンの宿敵ジョーカーとも似た役回りをしている。道化師のようなルックだけが類似点だと思っていたトランプのジョーカーとバットマンのジョーカーが、本作の「偽札」を以て真に繋がった気がする。
>|