トリコ

ナッシュビルのトリコのネタバレレビュー・内容・結末

ナッシュビル(1975年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

アルトマンは『M★A★S★H』を観てあまりのどぎつさ、不謹慎さに不快感を感じてしまい、とは言え、映画を観て間もない頃の感想だったので、改めて群像劇の傑作と言われる『ナッシュビル』を観れば何か違うかも。と思い観ました。

わちゃわちゃ、がちゃがちゃと騒がしい映画の中で、皮肉や侮蔑ばかりが描かれる展開にちょっと首を傾げながら。
終いには、スターとの競演を夢見る女性が選挙資金集めのパーティで歌うものの余りの歌の下手さに客が騒ぎ出し、場を抑える為に選挙側の責任者からストリップをすることを命令され、混乱した頭のままでそれに応じてしまう姿を観ると、流石に毒気が強すぎてうんざりを通り越して怒りを感じてしまいました。
しかし、それでもこの映画に何か大きな変化があるとすれば、ラストに全員が天地のひっくり返る様な(例えばカエルが降ってくるような)思いをして、そこに何らかの救い的な物があるんじゃないだろうか?と思い、観続けてラスト。

なんでしょうね。
このじわ~っとした感触。
なんでこうなるの?と思いながらも、こんな滅茶苦茶な状況が一つに纏まってしまったように感じてしまう不思議さ。
出る人間それぞれから発せられていた、見栄や、猜疑心や、お金や、性欲や、選挙や、夢や、差別や、他人への嫌悪感や、人への無関心や、そんな物が一つの歌で綺麗に流し尽くされたような感じ。
なんかいろんなモヤモヤが吹っ飛ばされて正当化されたような肯定感のあるラストでした。

しかし、ラストで上手くやられた感はあるものの、この映画好きか?と言われれば、本当に評価に迷います。
群像劇は『マグノリア』や『レザボア・ドッグス』なんかも大好きなので作りとして面白さも感じますし、特にこの映画の構成的な部分は感心する程。
こんな大人数(24人の主要人物)の話に付いて行けるのか?と思っても、人の名前は迷う事があるものの、キャラは際立っているからか意外に迷わず観ていました。
そもそも細かい部分は見落としてもストーリーにあまり大差はないというか、ストーリーもあやふやというか、とは言えキャラ設定が際立って上手いんでしょうね。
あとは、カントリーミュージックを中心に普通に一曲どころか続けて二曲くらいを丸々歌うというシーンも多かったですが、意外にこれも飽きずに見ていました。
ただ、やっぱり気になるのは皮肉と侮蔑に満ちた表現的な部分です。
それを楽しめるか?というと、どうしても不快に感じる部分をぬぐえなかったというのが正直な感想です。

映画後に仕入れた知識ではありますが、ナッシュビルというのはカントリーミュージックの中心地で、その背景故に人々の中に音楽が浸透してミュージシャンの地位も高いんだとか。
特に政治的にも保守的な土地という事もあって、ミュージシャンを政治利用することの威力は絶大なんでしょう。
映画の冒頭から大統領候補選挙の宣伝カーが繰り返し出てくる通り、政治利用ありきでミュージシャンを利用しているという事がこの映画でも描かれます。
ヘブンにしても、かたくなに政治への関与を拒みながら州知事をほのめかされてあっさりと傾いたり、前出の選挙資金集めでのストリップなんて政治が下衆になり下がった最たる例ですし。
時代も、銃社会、黒人差別、ベトナム戦争への国民の不満と、帰還兵のPTSD、ヒッピー文化、ドラッグ、冷戦・・・と、政治への不信感も強く、若者の退廃感も蔓延していた時代。
若い世代は政治なんて心底、無関心で、むしろ若者の荒廃ぶりとばかりにやりたい放題。
そして、ラストの引き金となる発砲は、一番、無関係と思われた普通の若者によって行われる事実。
なんだか、この政治に無関心な若者達と、政治にお金や権力の匂いしか感じさせない大人達が全く機能していない社会を描いている事も当時のアメリカ社会に向けた風刺なのかな?と感じたり。
その辺りをもう少し意識して映画を観直すと、皮肉や侮蔑も冷静に受け止められるのかな?と思ったり、いずれもう一度見直してから再評価したいと感じた映画でした。
トリコ

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