オレンジマン

桐島、部活やめるってよのオレンジマンのレビュー・感想・評価

桐島、部活やめるってよ(2012年製作の映画)
4.6
僕は初めてこの映画を観た時、日本映画も行けるぞ!新しくなるぞ!って思うほど衝撃だったし、にやつきが止まらなかった。
この映画の監督吉田大八が日本アカデミー賞の時「青春とかは嫌いなんですけど」って言ってて、この映画は青春映画でも学内ヒエラルキーを問題にした映画でもないって確信して一層この映画が大好きになった。この映画はどう考えても映画讃歌であり、映画好きのための映画なのである。
夢に出てくる満島ひかりも(原作では真木ようこ)、読んでいる映画秘宝(原作ではキネマ旬報)も、ジョージ・A・ロメロ(岩井俊二)も、どれもあ〜わかってるな〜って言いたくなるようなネタで最高だ。そしてなんと言っても、映画館で流れるのは「鉄男」!これに尽きますねこの映画は。鉄男を見る神木隆之介と橋本愛、なんか日本映画の未来を見てる感じがしますよね。
そうこの映画は日本映画の未来がいっぱい詰まったような作品なんですね。だから大好きなんです。
神木隆之介、橋本愛、東出昌大、松岡茉優、前野朋哉、新人で実力のある俳優が一同に会していて、さらにそのテーマは「映画(を撮る)」である。もうたまらないわけで。
さらに個人的には学生として映画を撮ることの苦労とか、夢を抱く気持ちとそれを無理だと思う気持ちとか、もうわかりすぎて辛いほどなんですね。
つまりこの映画は、映画に関わる人、映画を愛する人に向けた映画讃歌なんじゃないかなって思うわけです。マーティン・スコセッシが「ヒューゴの不思議な発明」でやったことを吉田大八が日本でやったわけです。
この作品から出た役者が活躍し、この作品を観た学生映画人が活躍する。そんな日本映画の未来が待ってるといいなと思いますね。
とにかくこの映画、僕は最高に好きです。


【追記0914】
久しぶりに観て、やはりこの映画は最高だと確信しました....
全ての登場人物の感情と状況が切れてる、切れてるof切れてる、本当に切れている。全てが研ぎ澄まされ、まさにこの瞬間、その先端に触れるように、また同時に触れてはいけないように、すべての感情が剥き出しの全て、本当に全て。
あまりにすごい。もうどうしようもなくすごい。辛い、もはや凄すぎて辛い。
セリフ回しも「先生が、集合」に代表されるように、本当に考えあぐねた上での短さが追求されている。美しい。
主要登場人物だけでなく、野球部部長、バレー部のリベロ、吹奏楽部の部長を呼びに行く人、全てが生きている。皆生きている、呼吸が聴こえる、声を感じる、鼓動に耳をあてられる。
羨ましい、本当に羨ましい。

この映画は時間軸をいじる構造が新しい映画などではまったくない。吹奏楽部がとりなす全ては、"音"が織りなす世界の共時性に違いない。時間軸がいじられているのではない、音や声は、まったく異なる物語をつなげてしまう、まったく異なる世界を一つにしてしまうのだ。「おまたー」は、女子と男子、帰宅部と映画部、そのまったく異なる属性を、一つの音が繋ぐ世界の中に閉じ込めてしまうのだ。本当に素晴らしい。音、声、映画の大切な武器が、映画の世界を作り上げる。台湾映画の音の効果とは違うけれども、同じような魅力があるのではないだろうか。

映像的には、とてもうまいところで白飛びする。映画部が最初に歩く部分、なぜそこで白飛びするのか、でも同時にそこで白飛びするからこそ、彼らはこの世界を歩ける、そんな気がする。青みがかった色彩が作り出す世界は、白飛びによって区切られる、枠取られる、描かれる。そして、最後、青い色彩で彩られたこの世界を全て破壊するようば橙色の太陽=夕陽。この色彩の変化はビビットで、明らか。それを媒介するのはフィルムという機械、そして映画という装置。完璧。

以前、桐島は「わかる」に留まっているから大嫌いだと言っている人がいた。本当に申し訳ないが、もはやそんなレベルの映画ではないと思う。全てが研ぎ澄まされている、全てが肉迫している、環境/登場人物/セリフ/演出/撮影、もはやどれをとっても、それは「桐島、部活やめるってよ」の世界以外の何物でもない、それは「わかる」のではない、「わからせられ、わかった気になる世界」なのだ。「わかる」を越えた「わからなければいけない何か」いや、「わかってしまう何か」が存在する、それはスクールカーストとかにおさまらない人間の全てだと私は思う。それこそ映画なのではないか。「桐島、部活やめるってよ」間違いなく、日本映画史に残るべき傑作である。
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