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夫婦善哉のkaomatsuのレビュー・感想・評価

夫婦善哉(1955年製作の映画)
4.0
かつて私の職場の同僚に、どうもダメ男ばかり好きになってしまう女性がいた。たいがいは遊び呆けた男の借金の肩代わりをしたりして、かなり苦労したようだった。そんなにしてまで、なぜダメ男と一緒になるのか、と聞いたら、自分でも分からないけど、私、世話好きなんだよね~と言っていたのだが、そのとき急に『夫婦善哉』のヒロイン・蝶子のことが頭に浮かんだ。原作者の織田作之助氏は、蝶子のキャラクターを通して、ダメンズ好きな女性の典型を描いているが、この蝶子、織田氏の実姉をモデルにしているだけに、ものすごい説得力と存在感。そして、ぐうたらな放蕩息子の主人公・柳吉は、織田氏の義理の兄がモデルとなる。身内をネタにして傑作小説を書いてしまった織田氏は、かなり気恥ずかしかったのではないか。同時に創作物というものは往々にして、作者自身や身内の恥部をさらけ出すことで、個人的なはずの内容が普遍的な共感にまで昇華し、傑作たりえるのかも、と思ったりもする。そんな男と女の持ちつ持たれつを明け透けに描いたこの作品は、文芸作品を多く手掛けた豊田四郎監督の安定した演出やカメラワークと、森繁久彌+淡島千景のグルーヴ感溢れる歴史的名演技によって、素晴らしく見ごたえのある人間ドラマとなっている。

大阪の芸者・蝶子(淡島千景)は、化粧問屋の若旦那で妻子持ちの柳吉(森繁久彌)に惚れ、柳吉の東京行きに便乗して駆け落ちをする。ところがいきなり関東大震災に遭遇、二人は大阪の蝶子の実家に戻り、部屋を間借りして生活をはじめた。蝶子は、臨時の芸者をやりながら稼ぐが、職のない柳吉は、蝶子が貯めた金を使い切り、飲んでは放蕩を繰り返す毎日だった。自分に都合のいいことばかり小賢しく画策するものの、ことごとく失敗に終わり、浪費癖がエスカレートする柳吉と、いつかは自分が正式に妻になることを夢見て、ダメ男と分かりつつも、健気に柳吉に貢ぐ蝶子の行き着く先は…。

男女関係(または親子関係など)の間には、共依存という厄介なものが発生しがちだ。私は根本的にズボラなので、しょうがないなぁと思いつつも世話を焼いてしまう女性と、その行為についつい甘んじてしまう男性との間に、果てしなき共依存のループが発生する危険性――どっぷり深みにハマった経験はないけれども――が、とてもよく分かる。柳吉に貢ぎ続ける蝶子に対して、どこかで見切りをつけられないのか、とヤキモキしつつも、酸いも甘いも噛み分けた上で離れられないのならば、それこそ本望だろうと、ある種の不思議な清々しさを感じてしまう。蝶子を演じた淡島千景さんは、ダメンズ好きで情が深く、世話焼きな女性を演じたら天下一品。1924年(大正13年)生まれで、奇しくも他の同年生まれの女優(高峰秀子、京マチ子、乙羽信子)と同様、日本映画史上、最も好きな女優の一人だ。

大阪に行く機会があったら、法善寺横丁の「夫婦善哉」と、難波にある「自由軒」を訪れ、肩寄せ合う柳吉と蝶子の睦まじい人生に思いを馳せながら、舌鼓でも打ちたいものだ。
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