Kuuta

泥の河のKuutaのレビュー・感想・評価

泥の河(1981年製作の映画)
4.5
「波に揺られていないと生きている気がしない」

これは素晴らしい映画でした。

戦後の日本が題材ではあるけれど、少年時代の出会いと別れを描いたジュブナイルものでもある。

戦争を知る大人が当たり前にたくさんいて、戦争を知らない子供とコントラストを成す。子役も大人も、丁寧にその空気感を表現している。

喜一と姉が初めて夕食に招かれた時の緊張感。信雄と両親の目線の違い。暖かい団欒のはずが、それぞれ内に秘めた想いがビンビンに伝わってくる。

川辺を歩く時のドリーと、奥行き、上下の活かし方。狭いうどん屋でのカメラの置き方。ほぼほぼ「橋」と「船」と「家」だけの映画だが、画面は全く単調になっていない。むしろ起点となるのは子供のアクション。子供が映画を動かしている。相米慎二っぽいなと思った。

生活を駆動する「水の淀み」は下に流れていて、それは川面に浮く船に「降りていく」構図だけでなく、信雄の家も、一階は雑多なうどん屋である。信雄一家はここで生きる糧を稼いで、二階の居住スペースへ向かって階段を上る。

高度成長の象徴であるテレビはお店の棚の上に置かれ、信雄と喜一は背伸びして見ようとする。喜一は校庭の遊具で宙に浮く一方で、砂場では穴の開いた靴という現実を噛み締める。貧富の差を突きつけられた喜一はでんぐり返しで上下をひっくり返しにかかり、ピエロはバク転で応じる。

本当は陸で暮らしたい。上がりたくても上がれない。そんなことを考えていたら、祭りのシーンで夜空に大きな花火が上がって…ここで泣いてしまった。戦争で死んだ人、神武景気で成り上がる人、泥の中から立ち上がろうとする人。色んな人の魂がどかんと乗っかっているように見えた。

この後の蟹を焼き殺す流れも神がかっている。花火とは真逆の、下の下の淀みで小さな火を灯す試み。

子供と大人、生と死、此岸と彼岸を繋ぐ橋を何度も渡り、成長していく信雄。川を隔てた先、窓の向こうに押し込められた船は日本社会に居場所が無い。ホラー的ですらある鋭い死の描写。土砂降りの雨(=水、命)の中、突如現れた喜一の船は、生と死が入り乱れる祭りを境に去っていく。戦争で傷ついた喜一の船は、自ら前に進むことすら出来ない。信雄は彼らとの思い出を胸に、その船をどこまでも追うが、強制的な別れによって大人への一歩を踏み出す。91点。
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